剱岳北方稜線(小窓以南)
日程:2025/10/06-08
概要:初日は黒部ダムから内蔵助平、ハシゴ谷乗越を経て仙人池ヒュッテまで。2日目に仙人池ヒュッテから小窓雪渓を登って小窓に達し、北方稜線の一部を南下して剱岳に登頂した後、別山尾根を下って剱御前小舎まで。3日目に剱御前小舎から室堂へ下る。
◎PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:剱岳 2999m
同行:---
山行寸描
◎仙人峠から小窓・三ノ窓を経て剱岳まで(またはその逆)のコースは「剱岳北方稜線」と呼ばれることが少なくありませんが、本来の北方稜線はこの短い区間だけではなく、剱岳から北へ池ノ平山〜赤谷山〜猫又山〜毛勝山〜駒ヶ岳〜僧ヶ岳をつなぐ長大な尾根(概念図)を指す呼称です[1][2]。このため本稿では「(小窓以南)」と区間を明記することにしました。
剱岳の北に位置する仙人池ヒュッテと言えば裏剱の眺めが有名で、私も長年、一度は訪れてみたいと思っていたところです。とは言うもののこれまでなかなか訪問の機会に恵まれなかったのですが、今年7月のクワウンナイ川遡行でお世話になったこざるんさんが9月から10月にかけてこの仙人池ヒュッテでアルバイトをすることになり、それなら陣中見舞いに行こうと考えたのがこの山行の起点です。
しかし、なにしろ剱岳周辺は東京からは遠くて時間もお金もかかりますから、仙人池ヒュッテだけではもったいない。そう思って地図を眺めていたところ、大日岳もずっと前から登りたいと思っていたことを思い出して、仙人池ヒュッテから剱岳を越えて剱御前小舎まで縦走し、3日目に大日岳を目指すプランとしました。つまり剱岳自体は移動途中の「ついで」というわけです。
2025/10/06
△08:05 黒部ダム → △11:25-35 内蔵助平 → △12:50 ハシゴ谷乗越 → △14:15-25 二股吊橋 → △16:05 仙人峠 → △16:15 仙人池ヒュッテ
新宿バスタを深夜に出発した白馬方面行きのバスは狭さが気になる4列シートでしたが、今週前半の北アルプスの天気予報が芳しくないことからキャンセルが出たのか、隣席不在の寛いだ状態で移動することができました。


信濃大町駅に着いたのはまだ暗い午前5時頃で、平日ダイヤのために1時間あまり待ってから扇沢行きのバスに乗ることになりましたが、バスを待っているうちに徐々に明るくなってきた中で山の方向を見るとどんより雲の中。これを眺めているバス待ちの人々の雰囲気もどんよりです。それでも雨が降っていないだけましだと気持ちを切り替えて扇沢から黒部ダムまで上がり、ダム下流に通じる通路に進みました。

ダムは観光放水中。登山者でなければなかなかお目にかかれない構図です。


黒部川沿いを下流に向かうこの道を歩くのはこれが4回目で、直近では2023年の下ノ廊下のときに阿曽原を経て欅平まで歩いています。しかし今年は、能登半島地震の影響で黒部峡谷鉄道が欅平まで通じていない上に、旧日電歩道の整備が完了せず、下ノ廊下は不通のままにシーズンが終わる見込みなのだそうです。

内蔵助谷出合から左に折れて少し登ると、懐かしの丸山東壁が見えてきました。「黒部の巨人」の異名のとおり存在感あふれるあの壁を登ったのは2008年で、その後には両脇の右岩稜・左岩稜も登攀候補として検討したものの、ついに登る機会を得ることはできませんでした。
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内蔵助平までの間は沢沿いとは言え面白みのない登り道が続き、足元の花々やキノコを眺めながらひたすら足を運び続けます。


内蔵助平に着いたら内蔵助カールに向かう道を分けてハシゴ谷乗越を目指しますが、この頃から青空が広がるようになってきました。これは予想外!

きつい獣臭に少々緊張しながらハシゴ谷乗越を越えて、少し下ったところからうれしいことに剱岳を見通すことができました。正面の三角形の左斜辺は八ツ峰、その左奥は源次郎尾根で、源次郎尾根を登り詰めた先が剱岳本峰です。


劔沢に架かる橋は9月中旬の豪雨で流されてしまいやきもきしたのですが、真砂沢ロッジの尽力のおかげで早々に復旧されており、この日も問題なく歩くことができました。ここからは劔沢沿いの道を下流へ向かいますが、沢に面した岩壁をヴィア・フェラータのように鎖と鉄杭を使って渡るパートは鎖の位置が低いために妙に緊張します。ここでも強い獣臭が漂っていてそのことにも緊張しましたが、それにしてもなぜ鉄杭?と思ったら、後でわかったことですがこの鉄杭には本来丸太が乗せられて桟道になっていたのが、9月下旬に(増水のせいで?)丸太がなくなって杭だけが残る状態になってしまったようです。


二俣の橋を渡ったところから道は沢筋を離れて尾根を登るようになります。仙人新道と名付けられているこの登り道は、下部は部分的に急斜面ながら登りやすく、上部は展望が開けて気持ちよく高度を上げていくことができ、しかも途中にはベンチもあって登山者への心遣いが感じられます。

そんな仙人新道の途中から見上げた構図がこちら。右から池ノ平山、小窓、小窓ノ王、三ノ窓(左端の雪渓が行き着いた先の鞍部)です。さらに三ノ窓の左にはチンネやクレオパトラニードルが見えていて、あのトゲトゲした姿にはたびたび訪れたシャモニーの針峰群を思い出しました。

傾斜が緩んで仙人峠が近づいた頃、水平方向に仙人池ヒュッテの赤屋根が見えてきました。これは見るからにすてきなロケーションです。


仙人新道を登り詰めてから右へ10分ほど下ったところに建つのが仙人池ヒュッテで、受付をする前に仙人池を覗いてみようとそちらへ向かったところ、私の到着に気づいたこざるんさんが外に出てきてくれました。お久しぶりです。
こざるんさんが教えてくれた撮影ポイントから眺めた裏剱の眺めがこちら。鏡のような水面が八ツ峰の稜線と空を映してこの世のものとは思えない光景でしたが、こざるんさんの言によれば朝はさらにすばらしいのだとか。ただ、残念ながら明日は暗いうちに出発する予定です。


宿泊客は私を含めて4名(うち1名は自炊)で、小屋のスタッフ(オーナーとアルバイト2名)と共に同じテーブルを囲む家族的な雰囲気の夕食は、手製のハンバーグを中心に野菜各種や豆腐もついて栄養のバランスもばっちりです。そんなヒュッテにすっかり馴染んでいる様子のこざるんさんと乾杯してから、食事をとりながら会話を楽しみましたが、宿泊客のうち2人は写真撮影が目的でここに連泊している常連客で、1人はこれが5連泊目。しかも年間では20日ほども泊まることを20年以上続けているそうです。これにはびっくり仰天ですが、こんな山の上なのに毎日風呂に入れるし、気が向けばお隣の池ノ平小屋やその先の池ノ平山まで散歩もできるし、雨に降り込められれば豊富な蔵書を読んでいればいいのですから、写真目的ならずとも住みつきたくなりそうです。
食後にあらためて仙人池の畔に立つと、空がピンクに染まってこれまた神秘的な眺めでした。常連客の方の話によれば水面を枯葉が覆うことも少なくなく、これだけクリアな鏡面になるのはラッキーなことなのだそう。事前の天気予報ではとてもこんな景色を見られるとは期待できなかったので、まさに僥倖です。
2025/10/07
△04:45 仙人池ヒュッテ → △05:00 仙人峠 → △05:45-55 池ノ平小屋 → △08:30 小窓 → △10:20-45 三ノ窓 → △11:25-30 池ノ谷乗越 → △12:50-13:00 剱岳 → △15:05 一服剱 → △16:30 剱御前小舎
一人一室をあてがっていただいて、暖かい布団でぐっすり眠って4時半起床。前日のうちに受け取っていた弁当二つのうちの一つを食堂で食べてから、この日の行程に向かいます。


こざるんさん、ありがとうございました。次の週末の小屋閉めまでがんばってください、と別れを告げて外に出ると意外に気温が高く、歩き出してすぐに上衣を1枚脱ぐことになりました。

歩くにつれてだんだん明るくなる中、池ノ平小屋の水源になっている沢を渡って水平に道を辿っていくと、眼下に平ノ池が見えてきました。これは氷河のモレーンが作る地形で、仙人池ヒュッテや池ノ平小屋に連泊していれば、おやつを持ってあの池まで降りてのんびり過ごすのもよさそうです。


ちらちらと左側の景色に目をやりながら歩き続けるうちに、鞍部に立つ池ノ平小屋に到着しました。ちょうど小屋のスタッフと宿泊客とが外に出て御来光を待っている風情でしたが、ここもまた絶好のロケーションで泊まりたくなってきます。そうか、どちらかに連泊するのではなく仙人池ヒュッテと池ノ平小屋との継続泊にしてもいいのだな。

池ノ平小屋に着いたときに夜明けを迎えました。もちろんそうなるように計算して歩き出したのだから当然と言えば当然ですが、オランダ風景画をさらにダイナミックにしたような景色が毎朝見られるとはなんと幸福なことでしょう(もちろん雨降りのときは何も見えませんし、今年は天候不順の日がことのほか多かったようです)。

朝日を受けて八ツ峰の岩壁もオレンジ色に染まってきました。こざるんさんが「朝の方が仙人池からの眺めがいい」と言っていたのはこれのことに違いありません。


池ノ平小屋の前でヘルメットをかぶり、登山道を少し進んで池ノ平山への道を右に分けて直進すれば、小窓雪渓に通じている旧鉱山道です。この道の名が示すように、池ノ平山にはかつてモリブデン鉱山があり、大正年間には池ノ平小屋が建つ鞍部に鉱山事務所や飯場、造林小屋が置かれていて、今でも池ノ平小屋では坑道ツアーを実施しているそうです。


ナナカマドの紅葉や鹿島槍ヶ岳のシルエットを愛でつつ歩いていると、その先端に剱岳展望台がある尾根をまたぎ越すところに北方稜線ルート これよりバリエーション 一般登山者通行困難 立入禁止 キケン
と書かれた木札がぶら下がっていました。そしてここを過ぎると左下に小窓雪渓を見下ろすようになり、最初に目を引くのは残雪を水源とする高さのある滝でした。あれを見れば、こちらもずいぶん高いところを歩いているのだということが実感できます。

進むにつれて小窓雪渓(残雪の下には小窓氷河が隠れています)の姿がはっきり目視できるようになってきました。上部の茶色い部分は雪が溶けた跡ではなく、斜面から崩れ落ちた土砂が雪渓の上に乗ったものです。そしてそこへ向かう道は途中でつるっとしたスラブを横断していますが、これは氷河によって削られた跡なのでしょうか?それでもここはトラロープが設置されているので安心ですが、その先のザレ斜面はこうした悪い道に慣れていないと肝を冷やすことでしょう。

旧鉱山道のどんづまりには白ペンキでマーキングがされており、そこから雪渓までザレの急斜面が一気になだれ落ちていて、その先には恐ろしい深さの大穴が口を開けていました。氷河には「ムーラン」と呼ばれるマンホールのような縦穴ができることがあるそうですが、これは右斜面からの流水がシュルントを広げたもののようにも見えます。それはともかく、たぶん早い時期であればこのマーキングの位置まで雪渓が上がってきているのでしょうが、現時点でのこのザレ斜面の下降はさすがに危険すぎます。


しかしありがたいことに、今は白ペンキの手前左のガレ斜面にピンクテープが付けられており、そちらを下ると比較的安全に雪渓まで降り立つことができるようになっていました。ただ「安全」とは言っても土と岩が危なっかしく作るグズグズ斜面には手も足もあまり信用できる置き場がなく、ここで引き返したくなる人もいるかもしれません。その代わり降りてしまえば(今のところ)雪渓自体は安定しており、持参した軽量アックスと軽量アイゼンでさくさくと歩けました。


ところどころにクレバスが口を開けていますが、縦に入っているクレバスは避けることができ、横に走っているクレバスは飛び越えられて、そのまま雪渓の上端に無事に到着しました。登り終えての印象としてはチェーンスパイクでも問題なかったように思いますが、その場合は万一の滑落時のためにバイルくらいは持った方がいいし、今回持参したような爪がしっかりしたアイゼンを履くのならむしろストックの方が役に立つという感じ。ただし、あくまで「この日のコンディションでは」という限定つきです。

左上を見上げると、小窓ノ王が頭上はるか高くに聳えていました。まさに王者の風格です。

少し登ったところから振り返れば、下の鞍部が小窓、その向こうの山が池ノ平山です。もし小窓雪渓の状態が悪いときは池ノ平山に登って正面のリッジを下ることになる(けっこう悪いらしい)ため、リュックサックの中には簡易ハーネスと20m補助ロープを入れていたのですが、幸か不幸かこれらの出番はなくただの重しに終わってしまいました。


小窓からの道はおおむね明瞭で、途中には早い時期だと急な雪渓を横断しなければならないポイントがありますが、これも今は雪が完全に消えて簡単に渡ることができました。さらにガスの中をひたすら登り続けると小窓ノ王の肩に到着し、ここで道は小窓ノ王の東側から西側へ踏み替えることになります。

小窓ノ王の西側には、正面に池ノ谷ガリーの荒々しい斜面があり、その右に剱尾根がピークを連ねています。そしてさらに右向こうには遠く富山湾も見えました。


この肩から下って少し上がったところが三ノ窓で、そこまではザレた急斜面を下ります。池ノ谷ガリー側から見た形から「発射台」と呼ばれるこの斜面は一見危なっかしく思えますが、実際には明瞭な踏み跡が続いていてさほど苦労せずに下ることができます。ただし斜面の途中まではジグザグの踏み跡を辿れるものの、途中で「発射台」の幅が狭くなるところからは左壁に貼り付くようにして下るところがミソです。


三ノ窓に着いたら大休止。ここには2008年5月に小窓尾根を登ってきて到達し、テントを張って2泊して、その間に向こうに見えているチンネ左稜線を登りました。そんな懐かしい光景に囲まれながらこの日2食目のお弁当を広げたのですが……。


うーん、これはイカン。アルミホイルの残滓を山盛りにした焚火跡や岩穴の中の大量のゴミ。後者は年季が入ったもののように見受けられましたが、前者は明らかについ最近のものです。だいたい薪が黒焦げのままで残っている時点でタキビスト失格ですし、土に還らないものをそのまま残して去っている点も言語道断。しかもそれ以前に、ここは国立公園特別保護地区の中なので焚火禁止の場所です。憤りを覚えながらアルミホイルをできる限り拾い集めましたが、到底すべて拾い尽くすことはできませんでした。


三ノ窓でのすったもんだを終えたら、池ノ谷ガリーの崩れやすい斜面に入ります。上に人がいれば落石に気を遣うところですが、この日は誰もこの周辺を歩いていませんでした。それにしてもこのガリーの左(右岸)側にロープがフィックスしてあるのは何のためなのだろうか?ロープの高さからすると残雪期用らしく思えますが、残雪期にこのガリーに入るほどの者がそうしたロープの助けを必要とするとも思えません。ともあれ無事に池ノ谷ガリーを登り切って到着した池ノ谷乗越も、2012年7月にテントを張って2泊し、八ツ峰VI峰フェースを登ったり先ほど見た劔尾根を登ったりした場所です。しかしさすがにこのガスでは八ツ峰は見られないかな?と思っていたところ、さすが八ツ峰、しっかりこちらの期待に応えてくれました。

池ノ谷乗越から見下ろす八ツ峰の一気に落ち込んでいる様子は仙人池から見る屏風のような形と同じものには思えませんが、2007年5月に登ったときの写真を見返してみると確かにそのときのままの姿をしています。ところでここまで過去の登攀のことばかり思い出していますが、これは年寄りの懐古趣味のようなものだなといたく反省。それが証拠に、脚力の衰えもあってここまでのペースを当初の計画と比較するとずいぶん遅れており、このままではこの日の宿である劔御前小舎への到着時刻が約束の16時を大きく回ってしまいそうだと焦りが出始めてもいました。

池ノ谷乗越から本峰方向へ一段上がると、向こうに今回の山旅の最高地点である剱岳本峰が姿を現しました。これには思わず歓声を上げたのも束の間、周囲は急速にガスに覆われていき、このようにスッキリした展望を見ることはもうできなくなりました。

それでもかろうじてガスの下の方の視界は開けており、左の八ツ峰、右の源次郎尾根を明瞭に眺めることができました。この二つの尾根の間はもちろん長次郎谷ですが、はるか下流と右上部に貼り付いているものを除き雪はほとんど消えてしまっています。


池ノ谷乗越から剱岳本峰までの間は、最初は稜線通し、ついで主として左斜面(長次郎谷側)を横断していくように進みます。ところにより際どく見えるトラバースがあったりしますが、私の見るところ、この区間の困難さは技術的な問題よりもルートファインディングにあります。ところどころにあるピンクテープやガイドが設置したと思われるハンガーボルトが方向を指し示してくれはするものの、基本的には岩の形状を見ながら自分で方向を見つけなければならず、日頃GPSログ頼り・残置マーク頼りでしか歩けていない人はこの区間で思わぬ時間をくったり危険地帯に踏み込んでしまったりということになりかねません。

長次郎ノ頭を左から巻いて長次郎のコルに達し、そこから急登に喘ぎながら岩稜を登ってしばらく進むと、ようやく剱岳山頂に到着しました。そこにいたのはインバウンドの男女ペアで、日本語で「こんにちは」と言ってくれたと思ったらすぐに立ち去ってしまい、残された私の周囲に広がるのはひたすら虚無の空間でした。


山頂からの下りは一般登山道なので問題になるところはないはずですが、客観的な目で見ればこれらの鎖場の下りも、経験が足りない人にはやはり厳しいと言うべきです。今年は特にSNSの情報を鵜呑みにしたと思われる初心者の事故の問題が取り沙汰されましたが、発信する側にも謙虚に難しいところは難しいと書く責任があると思います。

ある程度標高が下がると、再び雲の下の眺めが広がりました。登り返した先は一服剱、その左奥には(写真ではわかりにくいですが)劔澤小屋の建物が見えています。


ハイマツを漕いでクロユリのコルを越え、こちらをガン無視する雷鳥を横目に先を急いで、やっと劔御前小舎に到着したのは予定より30分遅れの16時半。


「心配していたんですよ」という小屋番さんに平謝りに謝って、その代わり途中で追い越したインバウンド3人組の情報を伝えて喜ばれ(彼らも心配の対象になっていたそうです)、割り当てられた部屋の前でアンダーウェアとソックスを替えて多少なりともさっぱりとしたら、すぐに夕食タイムとなりました。メインディッシュは生姜焼きで、これがまたビールによく合います。

食後に外に出てみたら、剱岳本峰がガスの中からそのてっぺんをかろうじて見せてくれていました。今回は今までとは異なる角度からの剱岳を眺めることができましたが、やはりこの角度で見る姿が剱岳のポートレートの代表格です。
2025/10/08
△06:45 剱御前小舎 → △08:55 室堂ターミナル
最終日の今日は大日岳へ足を伸ばして大日平に下り、称名滝バス停から富山側に降りて夜行バスで帰京する予定でしたが、昨夕の天気予報によればこの日の剱岳周辺は終日霧、一時雨という悪天候。このため早々に見切りをつけてバスの予約をキャンセルし、ゆっくり室堂へ下ることにしていました。


午前6時から朝食をとり、雨具を身に着けたら出発です。私は昨日剱岳に登頂しているのでいいのですが、この日登頂予定だった登山者たち(インバウンド比率高し)が気の毒でなりません。

それでも高度を下げていくとやはり視界が開け、そこに草紅葉の斜面が広がりました。


霧に濡れて鮮やかさを増したようなチングルマやナナカマドの紅葉にカメラ(スマホ)を向けながらのんびり下ると、この天気の中でも登ってくる登山者がちらほら。どうぞお気をつけて、そして少しでも天気がよい方向へ変わりますように。

雷鳥沢キャンプ場から振り返り見ると草紅葉の様子が一望できますが、自分が見たかった景色はこんなに白っぽいものではありません。


室堂ターミナルに着く手前で再度振り返ってみると、上空には青空が覗いていましたが、大日岳の稜線はやはり雲に覆われています。心残りではありますが、縦走中止は仕方なかったでしょう。それに今回の山旅の主目的はこざるんさんの陣中見舞いで、それは初日に十分満足のいくかたちで実現できたのですから不満はありません。今回行きそびれた大日岳には、別途機会を設けて訪れるつもりです。
下山後のことについて、最後に少し触れておきます。

上記の通り、当初の計画では富山側に下るつもりでしたが、室堂に早く降り着いたので予定を変更して信濃大町から帰ることにしました。そのため、相変わらずの高価格にげんなりする立山黒部アルペンルート(長野側)を使って扇沢に下ったのですが、大観峰から見下ろすタンボ平の黄葉は見事で、これで下山費用をある程度取り戻した気分になりました。
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さらに観光放水中の黒部ダムから2日前に渡った橋を見下ろし、大町温泉郷の「薬師の湯」の露天風呂でゆったり身体をほぐし、信濃大町から新宿まで直行する「あずさ」の発車時刻までの合間を使って駅から徒歩5分のおなじみ「昭和軒」に出向いて名物「ソースがけかつ丼」をいただいて、実り多かった山行の締めくくりとしました。
脚注
- ^『日本登山体系 5 剣岳・黒部・立山』(白水社 2000年)p.270。
剣岳より小窓、大窓を経て北へ赤谷山、毛勝三山、そして僧ヶ岳と続く長い稜線を剣岳北方稜線と読んでいる。この稜線の大半は無雪期にはやぶにおおわれて、しっかりした道もなく、訪れる人も少ないが、積雪期にはそのやぶも豪雪に埋まり、長大な雪のコースになる
- ^この長いコースをあえて無雪期に歩き通した記録として、次のものがあります。「パタゴニア・アンバサダーの試練と憧れの夏休み:日本海側末端尾根から剱岳リアル北方稜線50キロ17座の山旅(前編)」「同(後編)」(2025/10/09閲覧)









