小鹿野アルプス(般若山 / 釜ノ沢五峰)
日程:2025/09/29
概要:小鹿野の般若山法性寺から奥の院を経て般若山に達した後にいったん下山し、釜ノ沢五峰を縦走した上で金精神社に達してから、兎岩を通って下山する。
◎PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:般若山 478m / 竜神山 539m
同行:アユミさん
山行寸描
今月の上旬に冠岩沢を共に遡行したアユミさんと、今度も秩父方面へ出張。ただし当初の予定は両神山の赤岩尾根だったのですが、アユミさんが翌日に早朝からの出動を要する仕事を入れられてしまったため、彼女からの提案により同じ方面で登攀要素ゼロの小鹿野アルプスを歩くことにしました。実はこの選択には翌日の仕事のことばかりでなく、前日に両神山方面で降った雨のために岩の濡れが残っているだろうという予測と共に、お互いに10月から11月にかけて海外での山行を控えているのでこのタイミングで怪我はしたくないという気持ちも働いていました。
2025/09/29
△08:50 長若中学校前バス停 → 09:35-45 法性寺 → 10:05 お船観音 → 10:20 大日如来 → 10:45 般若山 → 11:30 釜ノ沢五峰登山口 → 11:55-12:00 一ノ峰 → 12:55-13:00 五ノ峰 → 13:40-45 文殊峠 → 14:50 文殊峠登山口 → 15:35 長若中学校前バス停
小鹿野アルプスという地名は初めて知ったのですが、場所としては秩父盆地の北西にあたる小鹿野町の法性寺を起点として、その奥の院をなす岩尾根(お船岩)から般若山に登り、いったん下って釜ノ沢五峰と呼ばれるコブコブの尾根を登り隣の尾根を下る周回コースがよく登られているようです。少し迷ったのは交通手段で、冠岩沢のときはアユミさんに車を出してもらったのですが、ヤマレコで小鹿野アルプスの記録を検索して予習していると、法性寺の駐車場に車を駐めた記録に対して寺のご住職が「登山者は参拝者用の駐車場には駐車しないでもらいたい」という趣旨のコメントを残しているのを見つけてしまいました。確かにそれももっともな話ですし、公共交通機関でのアクセスもさほど不便なわけではないし、さらに(これが最も大事なポイントですが)下山後のビールの楽しみも考えて、今回は電車とバスを乗り継いでアプローチすることにしました。


西武秩父駅で待ち合わせた我々は、小鹿野町営バスで長若中学校前まで(500円)運んでもらって、そこを起点にして歩き出しました。出発の前に時刻表で帰りのバスの時刻を見てみると、13時台の次は16時台、その次が18時台と本数がかなり少なめ。よって、16時21分のバスに乗って帰る想定でタイムマネジメントをすることにしました。
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バス停から法性寺に向かう道はのどかな里の景色の中を通っており、道端の真っ赤なヒガンバナやピンクと白のコスモス、それに実って道に落ちている栗などがいかにも秋の風情です。さらに途中の「農産物直売所」では行動食としてイチジク4個入りパック(200円)を買い求めましたが、このように法性寺までの道中を気ままに歩けるのも公共交通機関を使うことのメリットです。
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落合橋を渡って二俣を右に進むとあたりは森に囲まれるようになり、鉄工所のお遊びらしきガンダムや由緒ありげな神楽殿を備えた聖天社改め秩父大神社に挨拶をしながら歩き続けるとすぐに、法性寺の寺域に入りました。道の左側の斜面にはところどころに秋海棠がきれいな花をつけていましたが、そこに掲げられていた手書きの案内によれば秋海棠は鹿に食べられ、ほぼ全滅です。がっかりです
なのだそうです。

さて、いよいよ秩父札所32番・般若山法性寺に到着です。仁王像を擁する山門の上階は鐘楼を兼ねているそうで、この山門の立派さを見ただけでもお寺の由緒正しさが窺えます。


急な石段をぐんぐんと登って細長く開けた境内で、まずは境内整備のための協力金300円をお納めし、さらにアユミさんは御朱印やら法性寺グッズやらをお買い上げ。
境内の様子は上の写真の通りですが、実はここから奥の院のお船観音を拝むことができるようになっています。


しっとりした苔とピンクの萩の花の間を抜けて境内を奥に進むと、一段高いところに清水寺の舞台のような懸造りの観音堂が現れました。これまた立派な……と驚きながらその足元までは近寄りましたが、何せ帰りのバスのこともあるのでここで時間を使うわけにもいきません。今回はあくまで登山が目的、お寺を隅々まで拝見するのは将来の札所巡りの機会にとっておくことにしようと割り切って先に進みました。
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……とは言いつつも奥の院までの道はそれ自体が奇岩のオンパレードで、二つの岩が寄り合って作るトンネルを抜けマタギステップのような石段やところどころの鎖を頼りに進むと、金毘羅様が祀られた龍虎岩や十三仏が安置された岩窟などが次々に現れます。
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十三仏の先でお船岩が作る尾根に出ることになりますが、まずは分岐を右に進んで岩の舳先にあるお船観音にお参りします。ここは岩の右側に安全な道もあるようですが、我々は当然シューズのフリクションを信じて岩の上をとんとんと歩きました。まことに優美なお姿をした観音様に今日一日の安全を祈願し、岩の舳先から秩父盆地をひとしきり眺めてから、岩の上を戻って今度は大日如来に参詣します。

岩尾根の脇につけられた道を登ることしばし、前方の岩の突起に向けてステップが切られ鎖が付けられた場所に出ました。あれが大日如来のおわす場所に違いありません。


なかなかスリリングなステップと手すりを頼りに登ってみると、これはどうやら岩尾根の突起の前面を彫って仏龕を作ったところに大日如来の銅造坐像を設えたもののようで、智拳印を結び半眼で静かに佇むそのお姿には思わず頭を垂れたくなる威厳がありました。台座には寄進者の名前らしいものがずらりと彫られており、これを見ると「○○兵衛」という名前の多さが歴史を感じさせましたが、後に調べたところ正徳2年(1712)に造立されたものだということがわかりました。

お船観音からの眺めも見事でしたが、こちらはさらに高いところなので一段と広闊な展望が得られます。たぶん秩父盆地の先に外秩父の山々が見えているのだと思いますが、こちら方面の山には疎いため山座同定できないのが残念です。


鎖を頼みに岩のステップを慎重に下り、岩尾根の左側に付けられた道をさらに進むと標識が現れて、右は柿ノ久保、左が釜ノ沢だと示していました。地形図で見ると柿ノ久保に下る道はもう少し進んだ先のP478(般若山)で分岐しているはずですが、道が付け替えられているのかな?かたや釜ノ沢へは確かにここから左へ折れる方がショートカットになりますが、どうせ我々は般若山までは登ろうとあらかじめ決めているので、この分岐は無視して先に進むことにしました。


すると送電線を通すために尾根上を伐り開いた場所は濃密なススキの薮になっており、棘が痛いイバラらしきものもあって難儀する羽目になりました。どうにかここを通り抜け、さらに林の中のほとんど道なき急坂を登っていくと草の中にひっそりと三角点が隠れている般若山に達しましたが、そこは「山」と言うようなはっきりしたピークにはなっておらず、さらに尾根をしばらく登ったところでようやくテープが目立つジャンクションピークっぽい地形になって、ここから今まで登ってきた尾根を離れてその1本南隣の尾根を下ります。

枯葉で滑りやすい急斜面を下り、いったん右手の沢筋に下ってもう1本南の尾根に乗り直すと、わずかに進んだところが急に開けて目の前に雄大な武甲山を見通す大展望が出現しました。これはすごい。

そして目を左に転じれば、そこにはガメラ……ではなくて亀ヶ岳。この眺めを得られるので、この場所は亀ヶ岳展望台と名付けられています。おそらくあの岩峰は、こちらに乗り移る前の尾根の先にあるP407なのだと思いますが、実に登攀意欲をそそる姿かたちをしています。


亀ヶ岳展望台から下る途中には雨乞岩と名付けられた大きな岩があり、その足元には由緒不明ながら小さな祠と天井が低く狭い洞窟がありました。このあたりにはこれといったピークがあるわけではないにもかかわらず、随所にこうした信仰スポットが点在しているのがなんとも不思議です。
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尾根を下りきったところは民宿・長若山荘の裏手で、そこから車道には出ずに「金精神社 五峰」を示す指導標を頼りに沢筋を渡って山道に入りました。植林の中の道は明るく歩きやすいものでしたが、9月も終わろうとしているのにこの日も蒸し暑く、二人とも「暑い!」「風がほしい!」とぼやきが止まりません。

尾根の上の細長い露岩が出てくると、その岩の上には「一の峰」と書かれた小さな石碑が立てられていました。よし、これで早くも20%達成だ。

引き続き尾根を登っていくと分岐が現れて、そこに立つ標識に直進は「小兵重岩展望台・くさり場」、右は「金精神社 文殊峠へ」と書かれていました。しかし右に進むとピークを巻くことになるのは明らかなのでまっすぐ進んだところ案の定、登り着いた眺めのいい岩峰上にも石碑が立てられていましたが、なぜかそこには「三ノ峰」と書かれています。これにはびっくり仰天、えっ?いつの間にか二ノ峰を通過してしまったということ?


先ほどの標識に書かれていたとおりこの「三ノ峰」の向こう側は緩やかな鎖場になっており、これを下りきったところで考えてみたのですが、二ノ峰を通過してしまっているのだとしたらどうにも気持ちが悪い(私が使っていた地形図には五峰それぞれの位置が示されていません)ので、アユミさんにはそこで待っていてもらって私だけ引き返して確認することにしました。どうせ分岐のところに通じる巻道を使えばすぐだろうという見通しがその前提にあったのですが、いざ鎖場の左手の斜面に踏み込んでみると意外に悪く、途中からはっきりと道を外していることがわかりました。これは丹沢のバリエーションコースと大差ない難しさだなと思いながら慎重に危険回避しつつ「三ノ峰」と一ノ峰の間(巻道分岐点より一ノ峰寄り)に戻り着き、そのまま一ノ峰まで下ってから引き返したのですが、やはり二ノ峰らしきものは現れないままにピーク手前の分岐に達してしまいました。これはいかなこと……と思いつつ今度こそ正しい巻道に入ってみたところ、これまた一般登山道とは言い難い危なっかしいトラバースルートで、先ほどの道迷いも無理がないと思えるほどのワイルドさ。それでもどうにかアユミさんのところに帰り着いたとき、私が悪戦苦闘している間に地図とGPSを付き合わせていたアユミさんから聞かされたのは、この「三ノ峰」は実は二ノ峰であったという御託宣でした。

その言葉どおり、次のピークにも「三ノ峰」とはっきり書かれた石碑が立っていました。しかし、それならなぜ二ノ峰の石碑に「三ノ峰」と書かれていたのか。字体からすると「二」の上画と下画の間に後から横棒を足したものではなく、最初から「三」として書かれたもののようですが、どうしてそんなことになったのかは謎と言うほかありません。

気を取り直して先に進み、再びの鎖場を下って登り返したら次に出会うのはもちろん四ノ峰です。

五ノ峰(ここだけ石碑の表示が「峰」ではなく「峯」になっています)はなんの変哲もない林間の小広場になっていて、ここで水分補給のために小休止をとりました。「三ノ峰」騒動は骨折り損のくたびれ儲けになってしまいましたが、とにかくこれで五峰コンプリートです。

五ノ峰からわずかの歩きで達するのは立派な指導標とマンホールのような蓋付き基準点があるP565(釜ノ沢五峰分岐)で、ここは釜ノ沢五峰の尾根と般若山からの尾根が合流する場所です。そしてそこから少し進むと西北西方面の展望が開けて、両神山と二子山がきれいに見えました。特に二子山は西峰と東峰が重なるような角度で見えているため、非常に鋭角的な印象を与える姿をしていました。
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しばらくは小さなアップダウンを繰り返す尾根道の歩きで、布沢峠を越えて測量用の櫓らしい木組みが残る開けたピークに達し、小さな石祠に下り道の安全祈願をしてから中ノ沢ノ頭に到着しました。ここで左に折れればそのまま下山コースで、暑さにうんざりしていたアユミさんはどうやら(と言うよりあからさまに)そちらに行きたい様子でしたが、吉例に従いここはそのまま進んで文殊峠の金精神社を目指すことにしました。アユミさん、すみませんね。

目指す金精神社は中ノ沢ノ頭から意外に近いところにあって、その前を通っている車道をさらに進めば天文台もあるのですが、帰りのバスの時刻も気になるのでさすがにそこまで行こうとは申しません。


山型の板に記された金精神社の由来は次のとおり。
このお社は栃木群馬両県境にある奥日光の金精峠上に鎮座されている金精神社の御分霊を勧請し多数の奉賛者と多額の御奉賛金によりご本山に対峙して新に造営致しました。コンセイダイミヨウジンを御身ママ体としてお祀し縁結び、子孫繁栄、招福除災の守護神として尊きご加護により恩恵を賜り敬神崇祖の念厚く信仰を深め幾末永く幸福の為に鎮座してございます。
落成が平成4年(1992)とあるのでここに遷座されたのはそれほど古いことではありませんが、小さいながらも風格を感じさせるこの神社にここまでの安全の御礼を申し上げ、気持ちばかりの御賽銭を納めました。

文殊峠の周辺は植林が伐採されて気持ちよく開け、武甲山の姿を見通すことができました。ここで行動食のイチジクを食べ終えたらあとは下山するだけで、登山開始時点には1リットルあったスポーツドリンクはこの時点ではほとんどなくなっていますが、節約しながら歩けばどうにかなることでしょう。


下山するだけ、とは言いながらもまずは中ノ沢ノ頭への登り返しがあり、そこから東へ伸びる尾根を辿ると今度は竜神山への登りが続いて、すんなりとは高度を下げさせてくれません。

尾根上の開けた場所には小さな岩峰があり、その向こうに役目を終えて裸になった送電鉄塔が立っていました。冠岩沢の下りでも同じようなものを見ましたが、こちらの方が孤高感を漂わせていて心惹かれるものがあります。手前のススキをかきわけて近づき、比較的しっかりした岩登りをこなして鉄塔の足元を通過したら、今度こそその先は下り一方になってくれました。


尾根上の岩の露頭を右に回り込むと、そこには「賽の洞窟」と名付けられた岩穴がありました。現在の法性寺は曹洞宗(禅宗の一)ですが、大日如来を祀っているようにかつては密教との関わりがあったようですし、これだけ山中のあちこちにそれらしいポイントがあるところを見ると、このあたり一帯は修験の行場だったのではないかという気がしてきます。

「賽の洞窟」からトラロープ頼みの少々際どいトラバースを行い、ついで目の前に現れる岩場を登ると唐突に開けた場所に出ました。これが兎岩で、2列の鎖の間を安全に下れるようになっていますが、ここも鎖などない昔は修行者にとっての試練の場所であったことでしょう。ところで「兎岩」の名前の由来について、アユミさんは「兎と亀はペア」説を持ち出しましたが、いや、あれは日本の昔話ではなくてイソップ童話なのでは?たぶんそうではなくて、この丸く膨らんだ岩の形が兎の背のように見えることからの命名なのだろうと思いますが、後で我々はすでに二ノ峰や三ノ峰からここを見ていたことに気づきました。これらのピークから進行方向左側の開けた側を見たとき樹林に覆われた隣の尾根の一部に特徴的な岩の露出があって、我々は「あそこに滑り台みたいなスラブがある」などと興味深く語り合ったのですが、「兎の背」のようなメルヘンチックな見方ができなかったのは、きっと二人とも無粋なクライマー感性に毒されてしまっているからに違いありません。
そしてそんな我々らしく、ここで叫べば山彦が返ってきそうだと「ビレイ解除〜!」「登ってくださ〜い!」などと大声でコールしてみたところ、期待以上のクリアさで残響がこだましてきたのには驚きました。気象条件によって効果は違うとは思いますが、ここを通る人にはぜひ山彦が聞こえるかどうか試していただきたいと思います(ふつうに「ヤッホー」でいいです)。


そんなこんなの末にやっと車道に降り着き、そこから15分ほど歩いて着いた長若山荘前の自動販売機で冷たい炭酸飲料を買い求めて乾杯。バス停まではまだ30分ほどの歩きを残していますが、事実上これで山行終了です。低山ハイクとはいえ、変化に富んだ楽しい山歩きでした。
長若中学校前バス停では次のバスまでずいぶん待つことになってしまいましたが、予定通りのバスに乗って西武秩父駅まで戻り着き、ただちに「祭の湯」へGO。


温泉につかってさっぱりしたらまずは腰に手をあてていちご牛乳をぐいっと飲み干し、ついでフードコートに移動して、今日の山行の完了を祝うと共にお互いの来るべき大きな山行の成功を祈って、生ビールで乾杯しました。























