外秩父七峰
日程:2025/02/01
概要:東武東上線小川町駅からスタートして官ノ倉山・笠山・堂平山・大霧山・皇鈴山・登谷山の外秩父七峰を縦走し、釜伏峠から寄居駅へ下る。
⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。
山頂:官ノ倉山344m / 笠山 837m / 堂平山 876m / 剣ヶ峰 876m / 大霧山 767m / 皇鈴山679m / 登谷山668m
同行:---
山行寸描
本当は、金曜日から土曜日にかけてテントを担いで奥秩父の修験の古道を歩くつもりでしたが、目覚まし時計は鳴ったものの寒(眠)さに負けて、まさかの寝床敗退(汗)。ランチタイムに青空を見上げて深く反省した私は、せめて土曜日だけでもちゃんとしようと外秩父のロングコースを歩くことにしました。
外秩父七峰とは、東武東上線小川町駅を起点とし、ひとつ山越えしてから馬蹄形に連なる比企・東秩父の低山を巡って寄居駅へ下るコースで、その盟主と言えるのは山頂の天文台がおしゃれな堂平山です。距離はフルマラソンとほぼ同じ、累積標高差は登り下りとも約1900メートル(ジオグラフィカ計測)。トレイルランナーには及ぶべくもありませんが、遅いなりにも2022年まで実施されていた[1]「外秩父七峰縦走ハイキング大会」の制限時間である12時間は切りたいと思って臨んだものの、わずかに届きませんでした。
2025/02/01
△06:50 小川町駅 → 08:25 官ノ倉山 → 09:15-35 東秩父村和紙の里 → 11:45-12:00 笠山 → 12:40 堂平山 → 12:55 剣ヶ峰 → 13:40-14:00 定峰峠 → 15:05-20 大霧山 → 15:35 粥仁田峠 → 16:25 二本木峠 → 16:30 愛宕山 → 16:50 皇鈴山 → 17:10 登谷山 → 17:30-35 釜伏峠 → 18:55 寄居駅
この日も目覚めたときには寒さがこたえてただちに寝床を出ることができませんでした。毒を食らわば皿まで、ここまできたら今日も惰眠を……と思わなかったと言えば嘘になります(こういうところがソロ山行の難しいところです)が、さすがにそれでは人としていかがなものかと自分を奮い立たせて家を出ました。
東武東上線の小川町駅に着いたのはちょうど日の出の頃で、駅前のローソンで温かい飲み物と共に朝食をとったらようやく気合いが満ちてきました。ここからしばらくは市街地の中を行くことになりますが、要所要所に赤い矢印付きの「外秩父七峰縦走ハイキングコース」という標識があって、これを追っていけば道に迷う心配はほとんどありません。
まずは道すがらにある14世紀創建の八幡神社に立ち寄って、今日の山行の無事を祈ります。この神社にお参りするのは2023年に比企の里山をつなげて歩いたとき以来ですが、その立派さを見るとこの地域が長く栄えた歴史を持っていることが窺えます。
里を離れて山道に入り、岩がちの急坂を登り詰めたら思っていたよりも早く前衛峰である石尊山に到着しました。その名から想像がつくようにこの山には相模の大山信仰の祠が置かれているのですが、それよりも明るく開けた山頂からの展望の良さに目を奪われます。
標識があるから大丈夫だと先ほど書きましたが、石尊山からいったん下って官ノ倉山へ登り返すところでは迷いました。そこにある標識は左の巻き道を指しており、なんで?と思いながらも一度はそちらへ行きかけましたが、地図を見直してみるとこのままではやはり山頂を巻いてしまうので、謎の標識のところまで戻って正しい道を登り、無事に官ノ倉山の山頂に立つことができました。
官ノ倉山の山頂の少し手前からは、木の間越しに笠山と堂平山が見えました。標高は堂平山の方が40mほど高いのですが、笠山はその名の通りの特徴的な山容で麓からでも縦走路の途中からでもよく目立ち、山頂に神社が建てられたのも納得です。
官ノ倉山を経由していったん南側の里(東秩父村の一部)に下り、「道の駅 和紙の里ひがしちちぶ」までしばらくの車道歩き。この間にふくらはぎに少し違和感を感じていたのでカリウムを補給しようとバナナを買うことにしたのですが、コンビニエンスストアとは違って1本単位では売っていないので4本ひと房200円也をお買い上げ。ここで地図を見ると、笠山へ向かうためにはこの道の駅から登山道に入ることになっているのですが、見回したところそれらしい標識がありません。バナナを売ってくれたお姉さんに聞いてもよくわからないということでしたが、そのかわりに教えてくれた観光案内所に入って同じことを聞くと、対応してくれたおじさんはわざわざ外に出て登山口まで連れて行ってくれました。なるほど、本来は道の駅の建物と建物の間を見通せばわかる位置にハイキングコースの標識が設置されているのに、ちょうど今は工事中で標識が隠れてしまっていたのでした。
さて「登山道」とは書きましたが、実は笠山の近くまではがっちり舗装された林道・御堂笠山線を歩くことになります。途中には集落もあったりして登山ムードはあまりないのですが、それはここだけのことではなく、この縦走全体を通してアバウト半分くらいは車道を歩くことになるので、シューズの選択に際してはそのことを考慮に入れる必要があります。
車道歩きと山道歩きをつなげてそこそこの時間をかけて、ようやく笠山に到着しました。ただしこの山の標識があるところは本当の山頂ではなく、すぐ近くの笠山神社が建つピークが最高地点なので当然そちらに足を伸ばしたのですが、ちょうどそのとき神社の前にいた男性二人組は元気よく腕を振りながらそこにある石碑に彫られた校歌(麓の小学校の校歌らしい)に適当な節をつけて歌っていました。私が近づくと「あ、すみません」と照れ笑いをしながら挨拶してくれましたが、どうやらその五七調の歌詞を自分たちが卒業した学校の校歌のメロディーにあてはめて歌っていた模様。楽しそうでいいなぁ。かたやこちらは、この時点で正午になっていることで時間的に不安を覚え始めていました。これは「コンパス」で提出した登山届に記載した計画タイムとほぼ同じではあるものの、皮算用としてはもっと短縮できるつもりだったのですが……。
笠山から下って登り返して、すぐに堂平山に到着。先ほどの笠山から堂平山、剣ヶ峰を経て大霧山までは昨年12月の比企三山歩きのコースを逆に辿ることになります。そのときと同様に今日の堂平山山頂からの広い展望も気分のよいもので、西の方にはこの後ぐるっと回って縦走することになる尾根が見えていましたが、前回は閑散としていた山頂に、この日はとりわけ自転車乗りの人たちが大勢たむろしていました。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
そして昨年12月ともう一つ違ったのは、剣ヶ峰・白石峠を通過して下り着いた定峰峠の茶屋が開いていたことです。自前の行動食は十分に持参していますが、せっかくの機会なので茶屋に入り、前回食べ損ねた手打ちうどんを食しました(すこぶる美味でした)。それにしても茶屋の店内にはバイカーグッズ(備付けの漫画はいずれもしげの秀一の『頭文字D』『MFゴースト』)が目立つのはなぜ?どうやら定峰峠はその手の人たちが集まるポイントらしく、続々やってくるオートバイや自転車の姿と共に、路面にはぐるぐると円を描くブレーキ痕がくっきりと残されていました。
定峰峠から旧定峰峠を経て大霧山に達する頃には天気予報通りに空に薄雲が広がり始めており、前回ここからきれいに見られた遠くの山の展望もすっかり霞んでしまって魅力半減です。それでもここでベンチに腰を落ち着けて、行動食として持参したカレーパンと道の駅で買い求めたバナナの最後の1本を腹に収めました。ここは外秩父七峰のうちの第五峰ですが、残る二つの山は車道歩きの途中でちょっと立ち寄るピークといった感じになってしまうので、いわゆる登山気分を味わえるのはこの大霧山が最後ということになります。
大霧山の北にある粥仁田峠から先は未体験ゾーンですが、同時にそこから先はほとんど車道歩きに終始することになります。彩の国ふれあい牧場の前では「注意 牛の横断あり」という標識になんと恐ろしいところだと肝を冷やしましたが、現在は牧場は閉園中なので大丈夫。それよりも牧場の先で小さいピークを道路が巻いているところに「大山祇神社」の標柱と階段があって、これは見逃すわけにはいかないと寄り道をすることにしました。
階段と山道を30mほど登ったところには、社殿こそないものの確かに「大山祇神」と彫られた石柱が立っています。いつ頃にここに建てられたものかはわかりませんが、周囲が平坦地になっているところを見ると、かつては祠があったのかもしれません。ともあれ、ここまでの無事とこれからの無事とをねんごろに祈ってから車道に戻りました。
大山祇神社のピークから降りて少し進んだところからは笠山と堂平山がよく見えました。あそこからここまではるばる来たものですが、踏むべきピークはまだあと二つ残っています。
山つつじの名所である二本木峠から第六峰となる皇鈴山みすずやまへは車道を歩いてアプローチできますが、二本木峠のすぐ近くにある愛宕山(655m)のピークも踏んでおくことにしました。愛宕神社と言えば火除けの神様、そしてこの稜線には昭和初期に槻川村(当時)による防火線が設置されていたそうです。
愛宕山から車道に降りてこれを渡り反対側の山道を少し登ると、ちょっとしたアップダウンを経て意外に広い皇鈴山の山頂に達します。東側の展望台には車道が通じていて風情もなにもあったものではないにしても、東屋がある周辺には石碑、祠などもあってその由緒を探りたくなりますが、そろそろ暗くなってきました。
皇鈴山からさらに北へ進んでいったん車道に降りた後、再び山道を辿れば七峰最後の登谷山とやさんの山頂です。ここには他の山にあったような標柱はなく、近くの木に小さい山名標識がネジでとめられているだけでしたが、下界の眺めは悪くありません。そして見下ろした北武蔵の平地には、すでにたくさんの灯りがともる夜景が広がり始めていました。
釜伏峠に着いたところでいよいよ稜線を離れることになります。ここには釜山神社があり、その向こうには釜伏山(588m)が控えていて興味をそそられるのですが、それはまたの機会に。そう言えば、このように前半はアップダウンのある山登りで後半は稜線上を通る車道の近くにピークがあるという設定は私が山歩きを始めるきっかけになった兵庫県の六甲全山縦走に似ているなと思ったら、後で調べたところ「外秩父七峰縦走ハイキング大会」は新ハイキングクラブの創設35周年記念事業として構想され、「六甲全山縦走大会」の関東版として1986年にスタートしたものであることがわかりました[2]。なるほど道理で。
ヘッドランプを点灯してひたすら車道を下る釜伏峠から寄居駅までの1時間半ほどの歩きが、今回の山行の最大の核心部だったかもしれません。このように最後に潤いのないアスファルト区間を有してはいますが、それでも外秩父七峰の縦走はそれぞれに個性のある里山を連ねて歩き、楽しいものでした。タイムの面では一応の目標としていた12時間を切れませんでしたが、上述のようにあちこち寄り道した時間を割愛し、トレランシューズを履いて下り坂では意識してランを組み込めば、私の鈍足でも12時間を切ることはそれほど難しくないでしょう。ちなみに省略可能だった寄り道ポイントは次のとおりです。
しかし、ではこの反省を踏まえてもう一度歩きたいかと問われると、とてもイエスとは言えそうにありません……。
脚注
- ^2023年からは期間を限定してのデジタルスタンプラリー形式に変わっている。
- ^新ハイキングクラブ「外秩父七峰ハイキングの歴史」(2025/02/02閲覧)
- ^ここに20分間滞在しているので、これを割愛するだけで12時間は切れる。しかし今回に限っては、これを省略するという選択肢はなかった。