塾長の山行記録

塾長の山行記録

私=juqchoの登山の記録集。基本は癒し系バリエーション、四季を通じて。

天保山

日程:2009/04/12

概要:「日本で一番低い山」天保山に登頂。この山は天保年間(1830年代)に近くの安治川を浚渫した土砂を積み上げて作られた人工の築山であり、当時から桜が植えられ、茶店が出るなど観光スポットだった。なお、自然の山で最も低い山は徳島市の弁天山(6.1m)とされている。

山頂:天保山 4.53m

同行:---

2009/04/12

前日、大阪を訪れる用事があったので、この日は前々から気になっていた天保山に登ることにしました。この天保山は国土地理院発行の地形図に山名と共に載っている山としては最も低い山で、その標高は4.5m。高かろうが低かろうが「日本一」という響きには大いに価値があり、この機会を逃す手はありません。

ご覧の通り、地図にはちゃんと三角点の印が書かれています。この地形図で見ると、どうやら前衛峰が手前に聳えている模様。装備にはずいぶん悩みましたが、なにしろフリーソロなので極力軽量化に努めることにし、一切のギアを携行しませんでした(←大胆)。

前夜泊まった梅田のホテルから地下鉄を乗り継いで、降り立ったのは大阪港駅。そこから北に向かう広い通りが天保山への長い(徒歩5分)キャラバンロードとなります。

いよいよ登山口。「天保山公園」の碑文を前に緊張が高まります。左右の美しい花は、過去この山に逝った多くの登山者たちに手向けられたものかもしれません。

正面に見えている階段状の地形が、地形図で見た前衛峰へのノーマルルートに違いありません。手前に不思議な民具を持っているのはシェルパ族でしょうか?また、中腹右寄りの小柄な人影は、一見ただの子供が座り込んでいるだけのようにも見えますが、実は救出を待っている遭難者かもしれません。

一応、バリエーションルートの可能性も模索してみましたが、中腹の岩壁は斜度がきつく、こちらからのアタックは断念せざるを得ませんでした。

前衛峰の頂上は平坦な台地状になっています。これが粘度の低い溶岩による楯状火山なのか、長年の浸食によって形成された準平原なのかは、地質学に明るくない私の短時間の観察では判然としませんでした。なお、遠景は天保山大観覧車です。

ルートは前衛峰のさらに奥へと続いています。正面の木立の奥に不思議なオベリスクが聳えているのが見えますが、そこが山頂である模様。ここは慎重なルートファインディングが肝要です。

おっと、凍死者か?……と一瞬焦りましたが、安否確認のために近づいてみると、築港事業に功のあった西村捨三という人の銅像でした。

こちらが山頂部、桜の花盛り。オベリスクは明治天皇の観艦記念碑でした。

感動の登頂!……といっても、こちらの方が前衛峰より低いんですけど。とはいえ、こちらにはちゃんと三角点が埋められています。

二等三角点・天保山。北緯34度39分29秒、東経135度25分58秒、標高4.53m。

ここには天保山山岳会というのが存在し、登山証明書も発行してくれるそうです。

発行してくれるのはここ、喫茶山小屋です。といっても今は無期限休業中だそうで、シャッターのところにぶらさげてある紙に住所・氏名・人数・登頂日付を記し、100円を包んで右手の郵便受けに入れておけばOKです。

2日後に早くも届いた登山証明書がこちら。これは一生の宝かも。そして同封されていたメモには、次のように記されていました。

天保山登頂ご苦労様でした!

○○登山隊様には、今年393番目の登山証明書を贈ります。
最低体験された、貴方の将来には、向上の道しか残されていません。
お守りとしてご利用下さい。

天保山山岳会会長 橋本 誠