クワウンナイ川

日程:2006/08/09-12

概要:天人峡からクワウンナイ川を遡行し、2日目に稜線に出てヒサゴ沼避難小屋泊。雨で1日停滞ののち、沼ノ原から下山。

山頂:化雲岳 1954m

同行:---

山行寸描

▲滝ノ瀬十三丁の入口となる魚止ノ滝。上の画像をクリックすると、クワウンナイ川の遡行の概要が見られます。(2006/08/10撮影)
▲滝ノ瀬十三丁のナメ。ここにたった一人でいることの幸せをかみしめながら歩く。(2006/08/10撮影)
▲ヒサゴ沼避難小屋から沼ノ原への下山。たくさんの幻想的で美しい光景に巡り会えた。(2006/08/12撮影)

この夏は、5年ぶりに北海道に渡ることにしました。毎回お世話になっているカト・スー両氏とも連絡をとりあった結果立てたプランは、まずは単独でクワウンナイ川を遡行し、反対側の沼ノ原から下山したところでスー氏と落ち合い、ついで両氏と共にワンデイの平山を登って、最後は再び単独になって層雲峡から表大雪を縦走して旭岳へ抜けるというもの。このうちクワウンナイ川は、長い間気にかかっていた憧れの沢です。登山を始めた初期に購入した『空撮登山ガイド』シリーズの中の北海道の山を紹介した巻に「滝ノ瀬十三丁」を擁するこの沢の素晴らしさが紹介されており、これを読んで以来、いつかは遡行してみたいと思っていたのでした。

2006/08/09

△11:05 林道入口 → △11:20-35 入渓点 → △16:55 カウン沢出合幕営地

朝一番のフライトで降り立った旭川空港から、あらかじめ予約してあった「ちどりハイヤー」の車で天人峡温泉へ。林道入口を見つけるのに少し苦労したのですが、どうにか11時すぎに歩き出すことができました。林道に入ってすぐのところには上川中部森林管理署・東川町・美瑛町の連名の掲示があり、そこにはこういうことが書かれています。

  1. 入渓できる期間は、7・8月のみです。それ以外の期間の入渓は禁止します。
  2. 沢登りの技術を有していない者の入渓は禁止します。
  3. 所定の登山届・入林届の提出を行っていない者の入渓は禁止します。
  4. 遡上登山の決定、事故処理の体勢整備は、全て入渓者の自己責任において行うこと。
  5. 入渓の留意事項・マナーを遵守してください。

事故が続いたために数年前まで入渓禁止の措置がとられていたのですが、2004年からは上記の条件のもとに入渓が認められています。いろいろな経緯のもとに定められた決まりであり、きちんと守りたいものです。

背の高い掲示板の下をくぐって草の伸びた細い林道を進むこと15分、林道の右下に出合が現れて、ここがポンクワウンナイ川とクワウンナイ川の合流点だとわかりました。踏み跡にしたがって河原に下り沢靴に履き替えましたが、これなら車道でいきなり沢靴に履き替えておいてもよかったでしょう。

クワウンナイ川に入って最初のうちは浅瀬歩き。何度か左右に徒渉しましたが、深くても膝上までで困難は感じられません。45分ほど遡行したところでゴルジュ状になり、今回は単独で荷が多いこともあり左(右岸)の巻き道の世話になることにしました。巻き道は高いところと水際から2mくらいのところの2ルートあるようで、どちらでもそれほど難しくはなさそうなので高い方を選択しましたが、ゴルジュの先へ下り始めるところが若干微妙で時間を使いました。

ゴルジュを越えると再び平凡な河原歩きに終始します。天気はといえば、雨は降りそうにありませんがいまひとつすっきりしない曇天で気分も曇りがち。たまに出てくる壁の柱状節理や滴り落ちる湧き水がアクセントにはなりますが、基本的には浅瀬やごろごろの河原を歩き、行き詰まったら対岸へ徒渉することの繰り返しに飽きてしまいます。遡行開始後2時間弱で左岸に広い幕営適地が現れましたが、今日はカウン沢出合まで達するつもりなので休憩もとらずに先を急ぎました。しかし実のところは、休憩をとろうと思っても人なつこい羽虫の群れや熱烈なキスを迫るブヨがまとわりついて、ゆっくり足を止めることができません。途中で行動食をとるときも座ることができず、降ろしたリュックサックの周りを歩き回りながら食べ物を口にする始末でした。

14時すぎに標高876mで左から支沢を合わせるあたりから、さすがに「川」というより「沢」らしくなってきました。川幅は狭まり水流の勢いが増して、ところどころに楽しい岩登りの要素も出てくるようになります。15時頃に右岸の1段高いところに狭いながらもきれいに整備された幕営適地を見つけましたがここもスルーすると、その先30分ほどで左岸を細かいホールド頼みにへつるところが出てきて、不覚にもここでハマりかけました。しまった、まさかこんなところで進退窮まるとは、と焦りながら水中をよく見ると、水面下すぐのところにフットホールドが隠れていました。

目印のように残置されている不気味なストックを見送って先を急ぐとようやく顕著な二俣が前方に見えてきて、ここが今日の泊まり場であるカウン沢出合です。テントサイトは左岸で、その入口にはピンクのテープが目立つようにつけられていました。小高い位置にあるテントサイトは広く、普通サイズのテントなら5張りは楽に張れるほどですが、寂しいことに私の他には誰もおらず、どうやらたった1人で一夜を過ごさなければならないようです。よってテントを設営してからは熊除けのためにせっせと薪集め。多少湿っぽいもののそれなりに小枝や薪を積み上げ、何とか点火に成功しました。暗くなってきたところで夕食のラーメンを食し、翌朝の分の小枝を残して薪をありったけ火にくべてからシュラフにもぐり込みました。

2006/08/10

△06:30 カウン沢出合幕営地 → △07:10 魚止ノ滝 → △08:25 滝ノ瀬十三丁の終わり → △10:55 源流のカール → △11:55-12:15 登山道 → △14:20 ヒサゴ沼避難小屋

朝になってみると焚火はおおむね白い灰になっていて、自分としては評価点高し。残しておいた小枝に点火してから、湯を沸かしてコーヒーとパンとソーセージの朝食をとり、テントを畳んだら火の始末をしていよいよ出発です。

二俣を右の滝ノ沢へ入って40分、小さい幕営適地を越えたところに大きなスダレ状の滝が出てきました。これが魚止ノ滝で、念のため直登の可能性を探りましたが、手前に大きな釜を持っている上に水の勢いが強くて直登は困難。よって素直に右壁を倒木と踏み跡頼りに登ると、巻き上がったすぐそこからいい感じに沢床がナメを形成して、すぐに左に曲がっていました。ちょうど朝日が差し込んで水がきらきら輝く中、曲がり角の小さな段差を越えて進むと前方にこれまた立派な幅広の10mクラスの滝が出てきました。これを滝の左端のコンタクトラインを登って越えると、前方にさらさらと流れる透明な水の下に赤茶色のナメとそのナメを覆うきれいな緑の苔が広がりました。いよいよ滝ノ瀬十三丁の始まりです。

滝ノ瀬十三丁はその名の通りところどころに小滝をかけていますが、いずれも絵になる美しさである上に簡単に巻けたり登れたりします。そして、それらの小滝の間に続くナメは川幅いっぱいに広がり、ところどころで向きを変えながらもまるで車道のように真っすぐ続いていて、フリクションも良好。幸い天気も上々で、こんな楽しいところを独り占めにして歩くのが申し訳ないくらいです。

途中で支沢を右に分け、その先の緩傾斜のナメで「ヒョングリの赤ちゃん」が縦に連なっているようなところを面白く眺めながら徐々に高度をあげると、1時間近く続いた滝ノ瀬十三丁も最後の15m滝で終わりとなりました。そうは言っても稜線はまだまだずっと先で、しばらくゴーロを歩いて最初のハングした10m滝は左に道がついており、途中の岩場をフィックスロープをつかんで登った先には幕営跡がありました。続いて顕著な二俣に行き当たり、左俣方向にちょっと進むと両俣の間の奥壁にテープと踏み跡。そしてこの上にも笹を刈り払った小平地が作ってありました。この二俣を越えたところから水量が減って源流の雰囲気が漂ってきて、はるか前方にはガスに覆われ始めているものの稜線も見え隠れしています。沢の中には引き続きオーバーハングや階段状、あるいはテーブル状など、規模は小さいながらも造形が面白い滝がいくつも連なり、そうした滝は直登できると思えば直登すればよく、難しいと思えば右岸の斜面にはっきり道となった踏み跡を使ってもOKです。

沢筋を忠実に詰め上がると、とうとう前方にカール状の地形と岩塊の斜面が現れました。柔らかい草原の中に切り取られたような踏み跡を辿っていくと雪渓があって、その手前には古い幕営の形跡も見られます。ただし雪渓の下の水たまりは汚く濁っており、ここで水をとろうという気にはなれませんでした。

ここから稜線までは1時間ですが、歩いている間はずいぶん長く感じました。イワイチョウの絨毯の中に続く道を登ると、踏み跡はやがて岩がちになって傾斜を強め、ところどころ残雪の上も渡ります。ナキウサギの声や高山植物に励まされながら次第に重くなってきた足をひきずり、とうとう縦走路を行く登山者の姿が目に入ったときにはほっとしました。

装備を一般縦走用に切り替え、ゆっくり行動食を口に入れて、ここからはヒサゴ沼へ下るだけなのですが、実はここで失敗してしまいました。登り着いたところは天沼の南のコルのややトムラウシ山寄りの斜面で、コルに下りてみると右(東)へ向かう明瞭な踏み跡がついています。地図をちゃんと確認して素直に北上を続ければよかったのですが、ここで「これだけはっきりした踏み跡なら、ヒサゴ沼に続いているのだろう」と勝手に思い込んで登山道を離れてしまいました。しかし踏み跡はすぐに薄くなり、雪渓の上をさらに進むと道らしいものはなくなりました。ヒサゴ沼が北にあるのはわかっているので目の前の巨岩が積み重なったピーク(天沼の南東の1879mピーク)を回り込むように進んでみたものの、地形やルートの難しさよりもむしろ自分の心理の動きにヤバいものを感じます。これは典型的な遭難のパターンに違いない、と思い返して元来た道を戻ってみると、登山道から踏み跡に入る入口には道を塞ぐように木の枝が地面に渡してありました。なぜ先ほどこれに気付かなかったのかわかりませんが、遡行を無事に終えたことで注意力が散漫になっていたのかもしれません。ここで40分のロスとなってしまいましたが、むしろその程度で済んでよかったと考えることにしました。

今度こそ正しい道を北へ向かい、ロックガーデンを通って天沼のほとりの木道や両サイドにロープが渡された道を進むと、右手に懐かしいヒサゴ沼が見えてきました。その向こうには沼ノ原らしい平らな地形があり、さらに東大雪の山々もぼんやり見えていますが、それらの頭上には雨を含んだ黒雲が広がり始めています。化雲岳手前のコルで右に曲り、雪渓を慎重に下りきったところで清冽な雪解け水を思う存分飲んでから避難小屋を目指しました。

ヒサゴ沼の避難小屋は1階にも2階にも関西の大学のワンゲルが陣取っていましたが、十分に空きスペースがあったので、後で混むようならテントを張ることにして、とりあえず小屋の中に落ち着かせてもらうことにしました。その後も夫婦1組、単独の男性、最後に19時半頃男性2人組が小屋に入ってきましたが、ワンゲルの人たちが場所を詰めてくれたおかげで、皆ゆったりと寝場所を確保することができました。

2006/08/11

この日はトムラウシ山を往復後に沼ノ原まで下る予定でしたが、雨天のため早々に停滞を決定。トムラウシ山には行けなくなってしまいますが、過去2回登頂しているのでよしとしました。

同宿していた人々がみな出て行ってしまうと寂しくなりましたが、外でテントを張っていた単独行の男性が小屋に引っ越してきてくれたので、話し相手を得ることができました。彼は非常にゆったりとした行程で歩いていて、△裏旭岳 → △白雲岳 → △忠別岳 → △ヒサゴ沼、そしてこのヒサゴ沼には既に2泊していて、明日やっと天人峡へ下る予定なのだそうです。昨日1階にいた関西のワンゲルも、層雲峡から入ってやはり白雲岳、忠別岳を経由してここに達し、この後南下してこの日は三川台泊まり、さらに(たぶん双子池にも泊まって)美瑛岳から下ると言っていましたし、かくいう自分もリュックサックの中には予備も含めて5日分の食料と家財道具一式(沢装備含む)を背負っていて、そのためのリュックサックは手持ちの中では最大容量のLowe Alpine Cloud Walker(75リットル)です。かつてこのリュックサックは自分には文字通り荷が重かったのですが、久しぶりに担いでみてその担ぎやすさに驚きました。たぶん、このリュックサックを使いこなせるだけのパワーがようやく自分に備わったということなのでしょう。

さて、温厚な彼は小屋の2階にテントを干しに行って、昨夜泊まった神戸大学(?)の連中が掃除もせずに退去したのを発見して「あの人たち、頭はいいのかもしれないけどマナーは……」とぶつぶつ言いながら小屋の箒でせっせと掃除を始めました。自分はといえば手持ち無沙汰で備付けの「ヒサゴ沼ノート」を手に取ってみましたが、これがなかなか楽しめました。いろいろな人たちがこの小屋に泊まって、眺めがよかった、雨に降られた、これからどこそこへ向かう予定だなどと書き連ねていますが、こんなものもありました。

来年6月ごろ来るであろう道内各大学のワンダーフォーゲル部員さん達へ

そうじをしたら、いっぱいゴミが出て来ました。本当は私が持って行きたいのですが、石狩までかつぐ根性がありません。空ペットボトルや、空ガスカートリッジの1つもいいので、持って行ってください。おねがいします。この代償は、室工大ワンゲル現役部員がなんらかのかたちで返してくれるでしょう。

この文章にはゴミの置き場を示す上手なイラストが描かれており、楽しいことに「室工大ワンゲル現役部員が」のところは後から「大雪の大自然が」と見え消しで修正してありました。

「由加」さんという人の書き込みも抱腹絶倒。この人は昨年の9月下旬に1週間余りこの小屋に定着して何かの調査をしていたようなのですが、雪が降って調査地点が真っ白になったのを見たときはどないしょーどないしょー、とりあえず落ち着くんだと自分に言い聞かせ、各種メニューを持ち込んで一人もくもく食べているために今シーズンも順調に体重が増えていくことを反省し、しゃべる事が楽しみの私にとって話し相手がいないのはツライとこぼし、植物相手にブツブツ話すだけじゃ物足りないので歌いながら調査しようと試みたら歌いながらだと葉っぱの数が数えられなく断念したりしています。この人は、今年の秋もヒサゴ沼に入るのでしょうか?がんばれ由加さん。

ひとしきり「ヒサゴ沼ノート」で笑った後は、食べて、寝て、たまに水汲みがてら散歩して、そして午後には新たな同宿者を何人か迎えました。

2006/08/12

△04:05 ヒサゴ沼避難小屋 → △05:00-10 化雲岳 → △06:05-10 五色岳 → △08:20-50 沼ノ原 → △09:50 沼ノ原登山口

この日は10時に沼ノ原登山口でスー氏と待ち合わせ。地図でコースタイムを測ると6時間くらいですから、私の鈍足でも午前4時に出れば途中で撮影したり休憩したりでちょうどそれくらいになるはずです。そしてこの時期その時刻には十分明るくなっているので、ヒグマのリスクを除けば支障なく歩くことができそう……という計算を実は2日前に既にしてあり、3時起床で朝食と身繕いを開始しました。トイレに出たときにはまだ暗く小雨模様でしたが、自分が使ったスペースの掃除を済ませて予定通り午前4時に小屋を出るとびっくり仰天。雲が下がっていてブルーのきれいな雲海の向こうにニペソツ山のシルエットがすっきり見えていました。

小屋の同宿者たちに別れを告げ、ヒサゴ沼から離れて化雲岳への坂道を登って行くうちに黄金色に輝く御来光を迎えました。さらに特徴的な岩峰をもつ化雲岳の山頂からは、南にトムラウシ山や遠く十勝岳、北に旭岳を盟主とする表大雪の山々が眺められました。西にはかつて雨の中を苦労して歩いた天人峡への下山道、東には五色岳の向こうに東大雪の山々のシルエット。素晴らしいパノラマが展開していて、待ち合わせのことを忘れて見とれてしまいました。

はるかなる山トムラウシの雄大な姿は、五色平を歩く間中ずっと右手にありました。五色岳で最後のパノラマを楽しんでいるところに忠別岳方面から鈴の音を鳴らしながら単独行者が登り着き、彼と一言二言会話を交わしてからこちらは五色ヶ原に向かって下降を開始しました。五色ヶ原はチングルマなどの群生とトムラウシ山の展望が素晴らしいところだと聞いていましたが、既にチングルマの季節は終わりヒゲグルマになっており、高度を下げるにつれて道は雲の中に入っていき、少々残念に思いながら濡れて滑りやすくなった木道を沼ノ原に向けて淡々と下りました。

ガスの中でも周囲のお花畑がそこそこ綺麗なところはいくつもありましたが、やがて出てきた湿地帯のようなところでは柔らかい土の上にヒグマの足跡がはっきりと見てとれました。また、ところどころ出てくる笹とハイマツのトンネルの中で、張り出したハイマツの根に向こう脛を思い切りぶつけて七転八倒。

……などとそれなりにいろいろありつつも順調に高度を下げて五色の水場に到着しましたが、これは湧き水なのかと思っていたら、よく見るとただの流水なのでちょっとがっかりしました。しかし、ここまで来れば沼ノ原は目と鼻の先です。

最低鞍部からちょっと登ると地形は平らになり、道の左右に池が出てくるようになりました。ここはもう沼ノ原の一角です。すぐに木道が現れ、池が大きくなり、樹林が切れて湿生草原が見渡す限り広がるようになりました。ところどころにピンクのギボウシが咲き、上空のガスが時折切れて青空が顔を覗かせるようになる頃、今朝登ってきたらしい登山者たち2組とすれ違いました。彼らの姿を振り返り見ると、その向こうに先ほど下ってきた五色ヶ原下部の緩斜面が見え、さらにその右手に山も見えています。あわてて地図で確認すると見えている中で一番高いのはどうやら白雲岳で、また反対側には石狩岳へと続くジャンクションピーク(ニペの耳)が予想外に高く鋭くてっぺんを雲の上に覗かせてもいました。

待ち合わせの時刻までゆとりがあるので木道にリュックサックを下ろし、雲が上がるのをぼけっと30分ほども待っていましたが、ついにそれ以上の展望が開けることはありませんでした。しかし、誰もいない湿原に一人で贅沢な時間を過ごしたことに満足し、頃合いを見てリュックサックを担ぎ直すと、姿の見えないトムラウシ山やヒサゴ沼方向に別れを告げて、後は脇目もふらずに下界へと向かいました。

◎「平山」へ続く。