赤岳天狗尾根
日程:2003/01/12-14
概要:地獄谷の出合小屋に1泊し、テント等をデポして天狗尾根を登ったが、稜線に到達した時刻が遅かったため赤岳鉱泉まで足を伸ばして泊。翌日、文三郎尾根を登り返してツルネ東稜を下り、出合小屋に戻った。
山頂:---
同行:---
山行寸描
赤岳から南東に落ち込み鋭く大きな岩峰をいくつも突き出したギザギザのスカイラインが特徴的な天狗尾根は、八ヶ岳東面のバリエーションルートとして人気が高く、技術的にも現在の私にうってつけ。前から目をつけていたこの天狗尾根をいよいよ落としたいと思ったのは去年の師走のことですが、天皇誕生日の連休は天候が悪かったので諦めたため年越しのテーマとなりました。この冬はどこも例年になく積雪が多いと聞いており、おまけに年末年始にミャンマー旅行に行ってきてすぐの週末ではさすがに無理があると思っていましたが、天気予報は成人の日の連休が絶好の天候であることを告げていたので、迷いはしたもののやはりこのタイミングでチャレンジすることにしました。
30mロープを含む登攀用具類と防寒具、テント、シュラフ、食料、火器、コッヘルなどをパッキングしてみたところ、シュラフ(デナリ)がでか過ぎてどうしてもわずかの差で50リットルザックに収まりません。しからばと70リットルザックに詰め替えてから体重計に乗ったらデジタル表示が92kgを示して「25kgも背負っているのか?」とびっくり仰天しましたが、実はウルトラ怠惰な正月を過ごした自分の体重が71kg(=自分史上最重!)にもなっていたのでした。これは、クライミングをできる重さじゃないと一時は暗澹となりましたが、当初家財道具一式を背負って天狗尾根から美濃戸方面へ横断する予定であったのを、重荷を出合小屋にデポして軽装で天狗尾根を登り、ツルネ東稜を下って出合小屋に戻る作戦に切り替えて決行することにしました。
2003/01/12
△10:00 美しの森 → △14:45 出合小屋
新宿7時発の特急で小淵沢まで。駅前にコンビニがないことに驚きながらタクシーに乗り、美しの森まで6,250円でした。駐車場でプラブーツを履き、雪に覆われた林道をスキーを履いた3人組と前後しながらとぼとぼと奥へと歩きましたが、今日は出合小屋までなので適当に休みながらひたすらゆっくり歩き、やがて道が川筋に入ると踏み跡に導かれながらいくつもの堰堤を越えるようになって、深雪に何度も足をとられながらようやく出合小屋に到着しました。
小屋の前には関西イントネーションの3人のクライマーが休憩していて、聞いてみると権現岳東稜を目指したものの腰までのラッセルに終始したため退却してきたとのこと。これには驚きましたが、旭岳東稜と天狗尾根には人がたくさん入っているようだとの情報もいただいて安心しました。しっかりした作りと適度な広さにトイレも別棟でちゃんとある清潔な小屋の中にはテントがひと張りあり、こちらも小屋の中にテントを張ってシュラフをのべ、昼食兼夕食のコンビーフ焼きそばを作っていると、後から旭岳東稜を登ってきたという3人パーティーとテントの主の単独行(ツルネ東稜自体を目的としていた模様)が到着しました。こちらは食事を終えるとさっさとシュラフにもぐりこんで寝入ってしまい、目が覚めたときはまだ21時でがっくりきましたが、その後も比較的暖かく眠ることができました。
2003/01/13
△05:05 出合小屋 → △10:00-20 カニのハサミ → △15:00 大天狗基部 → △15:50-16:00 稜線 → △17:20-30 行者小屋 → △17:55 赤岳鉱泉
4時に起床し、マルタイ棒ラーメンとんこつ味をおいしくいただいて元気百倍。リュックサックの中には登攀用具と行動食、テルモスに暖かいコーヒー。外に出ると満天の星で、ヘッドランプで足元を照らしながら昨日のうちに入口を偵察しておいた赤岳沢への雪道を辿りました。今回参考にしたのは『岳人 1988年3月号』の記事で、そこには赤岳沢を1時間ほど遡ってから天狗尾根に取り付くと書いてありますが、真っ暗な中で雪の上の踏み跡を頼りに進むと、30分ほどで踏み跡は左の尾根へ登り始めていました。この登りは大した時間をとらず、すぐに尾根筋の上に出ることができて、そこから樹林帯の中をどんどん高度を上げていきます。右には赤岳沢をはさんで真教寺尾根が長大な姿を見せていますが、こちらも上部はおよそ一般ルートとは思えないほどの傾斜で突き上げています。途中、ヒヨコの頭に生え始めたばかりのトサカのような岩場を簡単に通過したりしながらトレイルを辿っていきましたが、標高2200mくらいの前方に岩場がある開けたところで急に踏み跡が消えてしまいました。先ほどから、この踏み跡が下山方向にもついていることに気付いてはいましたが、どうやら先行者は昨日ここで引き返してしまったようです。軽装とは言えワンデイ・アッセントを計画したのは人気の天狗尾根のことだからトレースされているだろうとの読みがあったからなのですが、仕方なくここからは自分で雪の上に道を開くことにしました。
正面の岩場は右寄りの雪の急斜面を登れて、ここを越えるとしばらくは、左の地獄谷方面が切れ落ちているものの足元はしっかりした稜線が続きます。ついで尾根筋が幅広になるとともに傾斜がぐんときつい地帯に突入し、本格的なラッセルとなりました。バイルで雪をかき寄せ、膝でぐいぐい押し付け、その上に立ちこんで、それでも足が潜るのでさらに雪をかき寄せて……ということをひたすら繰り返していると感覚が麻痺してきて、この単調な作業が楽しくなってくるから不思議です。とは言うものの時間はどんどん過ぎていき、「これは時間切れ敗退だな。せめて岩場を拝んでから下ろう」と覚悟を決めました。
傾斜が緩み何となく森林限界っぽい雰囲気が漂ってきて、やがて強烈な寒風が頭上を左から右へ駆け抜けている開けた場所に飛び出すと、目の前にまさにカニのハサミという名前の通りの形をした小岩峰が現れました。向こうにはこのルートのポイントになる30mの岩壁も見えていて、この光景を目にしたときに頭の中で何かが弾けました。ここから引き返すなんて、もったいなくてとてもできない!まだ時刻は早いし、明るいうちに出合小屋まで戻れれば後はヘッドランプを使ってでも下山は可能なはず。いったん風を避けられるところまで下って登攀用具を身につけ、アイゼンを履きヘルメットをかぶって前進を再開しました。
カニのハサミは左側を巻いて通過するようになっていて、1歩だけ張り出した岩がいやらしいところがありましたが、まぁなんとかなりました。すぐに10mの岩壁が立っていて、傾斜はさほどなく手掛かりにも困らないのでこれも問題なく通過。この先に30mの岩壁が立ちはだかっており、ここは「正面から取りつくと手強い」とされているので私も定石にしたがって「バンドを右にトラバースして、次に草付の凹角を登る」ラインをとろうとしましたが、この右斜面は崩れやすいふかふかの雪が一面についていてバンドはおろかそこにあるはずのフィックスロープも埋もれています。しかもけっこうな急角度ではるか下方まで切れ落ちており、何の確保もなしにトラバースするのはちょっとためらわれました。
そこで、わずかに顔を覗かせているフィックスロープの末端がくくりつけられた木の幹にスリングをセットし、ロープを通して自分を確保してから1歩ずつトラバースを開始しました。ルンゼの下部までの間に小灌木にランナーをとって(ここにスリングとカラビナを残置してしまいました)、最後にちょっと冷や汗をかきながら岩場を数m横に抜けてフィックスロープに辿り着きました。足場の比較的よいところを選んでからフィックスロープにタイブロックをかけ、確保していたロープを回収してルンゼを登り始めましたが、実はフィックスロープはそこから5mほどで終わっており、ルンゼは60度ほどの雪壁となってまだ20mも続いています。フィックスロープの上端にプルージックでセットしたスリングを支点にして再びロープで自分を確保し、雪壁をそろそろと登っていくと、中間の高さの辺りにしっかりした枯木の根方の部分が突き出ていたのでそこでセルフビレイ。ここで再びロープを回収しようとしたところ、ロープが下の方でだんごになってしまい抜けてくれません。仕方なく枯木を支点に懸垂下降で先ほどのプルージックまで戻り、ロープのほつれを解くとともに、スリングも回収して登り返しました。
ルンゼの上部も厳しい傾斜のラッセルになって、不安定な足元を踏み固めながらの必死のアルバイトを続けてここを突破しやっと30mの岩壁の上に出ましたが、なんとこの30mを越えるだけで2時間もかかってしまっています。それでも気を取り直して、右手に大天狗の岩峰が大きくたちはだかっているのをにらみながら斜面を登り小さな岩峰を左から回り込むと、眼前に『山と溪谷 1999年12月号』の特集記事で見た写真の光景が広がりました。この記事中の写真には「大天狗の岩壁を巻いて越える」とキャプションがついていましたがそれは誤りで、これは大天狗の一つ前の岩峰です。まず手前の岩峰の左をいったん小さく下ってバンドをトラバースしてからほんの1、2歩緊張する岩登りをして上の段のバンドに乗り、ついで右に斜上するバンドを辿って稜線の右側へ回って前方の岩峰の右を通過すると、いよいよ核心部の大天狗が目の前となりました。
ちょっと悪いトラバースを慎重にこなして大天狗の基部に到着しましたが、正面から直登するのはグレードが高く確保なしでは(私には)無理なので、ここもガイド記事の勧めにしたがって右下へトラバースしていき、岩場を1段登ってその上のバンドに乗るラインをとりました。岩場には残置スリングが垂れていてよい目印となっており、さらにその右の上向きのドアノブのような岩の突起にも赤いテープが巻き付けてありました。ここから右に下り気味に足を伸ばすラインもありそうに見えましたが、これだと行き詰まったときに進退窮まりそう。しばらく逡巡していましたが、素直に直登することに心を決めるとあれよと思う間もなく身体が自然に動いて、上のホールドを左手でとって左足を上げ、右足を開いてドアノブにアイゼンで立ち込み右手をさらに上のホールドにかけて……とさっさと登ってしまいました。
大天狗を越えればもう難しいところはありません。小天狗は左側から簡単に巻いて、最後に主稜線までのやせた尾根は雪が深く、ここでのラッセルに意外に時間がかかりましたがやっと縦走路に到達しました。登り始めてからここまで11時間がかかっており時刻は16時、暗くなるまであと1時間です。ここが思案のしどころですが、キレットへ下ってツルネへ登り返し暗闇のツルネ東稜を下降するのは初めての道だけにリスクが大き過ぎるため、明日の仕事のことはいったん考慮の外に置いて(スミマセン)最短で安全を確保するには赤岳鉱泉へ下るのが最善と判断しました。そこで縦走路を赤岳方面へ進んで巻き道に入り、早くも夕景色になってきた文三郎尾根の途中から赤岳鉱泉に携帯電話で宿泊・食事の予約を入れました。
行者小屋に降りついたところで、今朝の出発以来初めて人に会い少しほっとしました。ここでアイゼンを外し、中山乗越を越えて赤岳鉱泉に着いたときには既に真っ暗。ちょうど私以外の宿泊客5、6人がきのこカレーときりたんぽ鍋の夕食を始めようとしていたところでした。
2003/01/14
△06:25 赤岳鉱泉 → △07:10-15 行者小屋 → △08:45 赤岳の肩(文三郎尾根分岐) → △10:45-11:05 キレット → △11:40 ツルネ → △13:15-14:15 出合小屋 → △16:10 美しの森
今日は、出合小屋に残してきたテントやシュラフなどを回収しなければなりません。美濃戸口まで下山してタクシーで美しの森に回ることも考えましたが、それでは今回の山行が完結したことにならないような気がしますし、時間的にもさして短縮にはなりません。というわけで昨日下ってきた文三郎尾根を登り返してツルネ東稜を下ることにし、朝食をお弁当(丸いパンが三つ、ネーブル、チーズ、ジュース)にしてもらって、明るくなった6時すぎに出発しました。青空の下の阿弥陀岳北稜や赤岳西壁主稜を目で追いながらゆっくり文三郎尾根を登り、肩を過ぎたあたりでちょうど9時になったので会社に電話を入れて同僚にスケジュールを確認してもらいました。やはり来客アポが1件入っていたので日程変更の連絡を入れてくれるよう頼みましたが、電話の向こうの同僚はまさか私が氷点下の寒風吹きすさぶ標高2700mの場所から仕事の依頼をしているとは思っていなかったでしょう。
赤岳の山頂部は巻いて南への縦走路に入り、身体が吹き飛ばされそうな強風を左(東)から受けながら昨日登り着いた天狗尾根分岐を見送って鎖や梯子を下り、さらにがらがらの岩場を急降下するとキレットの雪道となりました。ここから見上げる天狗尾根は大天狗やその下の岩峰が見事で素晴らしい眺めです。自分が歩いたラインを確認しながらここでお弁当を食べ、ついでツルネに登ると前方には旭岳東稜がもの凄い急角度で地獄谷方面へ落ち込んでいるのが見えました。この頃には旭岳の山頂部は雲に覆われ始めていましたが、東稜自体は核心部の五段ノ宮の岩場もはっきりわかり、その手前のわずかな平坦部はキノコ雪が恐ろしく、まったく、こんなところを単独で登る人=現場監督氏の気が知れません。
西側に並走してくれていた阿弥陀岳南稜(かつて自分が登ったルートには、友情のような不思議な親近感を覚えるものです)に別れを告げると、ツルネの頭からツルネ東稜へははっきりした踏み跡がついており、途中も黄色や赤のテープが豊富で道に迷うことはありませんでした。危なげのあるところもなく、途中けものの足跡にだまされそうになりはしましたが最後は無事に沢筋に下り着き、そこからしばしの歩きで出合小屋に帰り着きました。ところが着いてみると、無人の小屋の扉は開きっぱなしになっていました。私とともに一昨日の夜小屋の中にテントを張っていた単独行がきちんと戸締まりをしなかったためだろうと思いますが、もしすぐにテントを回収せず次の週末までほったらかしにしていたらけものたちのかっこうの餌食になっていたかもしれず、無理してでもテントを回収しにきてよかったと胸をなでおろしました。
パッキングを済ませ、床の上の雪を備付けの箒で掃き出して、しっかり戸締まりをしてから再び重くなったリュックサックを背負いました。小屋から美しの森までの道は長く、それでも2時間で駐車場に下り着いたときには地吹雪のような荒れ模様の天気になっていました。
電話で呼んだタクシーで小淵沢へ戻り、新宿行きの特急に乗るまでの1時間弱で食事をしようと駅の近くで目にとまった「入船食堂」に入ったところ、そこは(見掛けに似ず)けっこう有名な店だったらしくいろいろな芸能人のサイン入り色紙が飾ってありました。その中に、私がヘルメットにシンボルマークのシールを貼っている映画『リターナー』で主演した鈴木杏の色紙と写真もあって、お世辞にも上手とは言えない彼女のサインを見ながらわけもなくうれしくなってしまいました(赤面)。
ともあれ、これまで事前に年休をとって山に登るということはもちろんあっても、予定した日程で下山できず会社に迷惑をかけたというのは初めての経験です。下に範を垂れなければならない立場の者として、今回のラフなプランニング(装備選定も含めて)・身体に関する自己管理の甘さ・分別のない現場判断は大いに反省させられました。