旭岳〜トムラウシ山
日程:1989/08/20-22
概要:旭岳温泉からローブウェイで上った姿見駅から縦走をスタート。旭岳、北海岳を経て白雲岳避難小屋横に幕営。翌日は忠別岳、五色岳を越えてヒサゴ沼。最終日はトムラウシ山をピストンした後、天人峡温泉へ下山。
山頂:旭岳 2291m / トムラウシ山 2141m
同行:カト氏 / スー氏 / ユウコさん
山行寸描
1989/08/20
△06:15 姿見駅 → △06:20-50 展望台 → △07:05-15 姿見池 → △09:30-10:25 旭岳 → △12:00-45 間宮岳 → △15:30 白雲岳避難小屋横幕営地
展望台での朝食は、本年のメイン・イベント=大雪山行の最初の目的地である旭岳を望みながら。この時点では雲が山頂を覆っていましたが、池に着く頃から次第に晴間が広がりました。爆裂火口下部からは盛んに噴気をあげ、この山のヴァイタルな性格をあらわにしています。
北海道最高峰からは、大雪全山はもちろんトムラウシ山、十勝岳、夕張の山並からさらに遠く日高方面まで見通せ、特にトムラウシ山方面の高原の広がりは驚異的ですらあります。旭岳裏の雪渓の下で水を汲みましたが、キタキツネを宿主とする寄生虫エキノコックスに汚染されている可能性があると聞き、私とユウコさんは手が出せませんでした。
いかにも北海道らしい野放図さを見せつけるお鉢平(旧噴火口)を眼下に眺めながらの昼食時にも、タラコ唇状に見える白雲岳、名前通りの姿の鳥帽子岳、台形の黒岳など展望には事欠きません。白雲岳東北の巻道は色とりどりの花畑や雪渓で我々を楽しませてくれましたが、登り着いた白雲岳〜小泉岳の稜線上の道標には熊出没の警告があり冷水を浴びせられた気分になりました。
白雲岳避難小屋に着いて幕営指定地に私及びカト氏のテントを設営し、タ食(チーズフォンデュー)後には酒を飲みながら「明日はハイキングのようなものだ」などと後から考えるととんでもない気勢を上げました。
夜、空には東京では決して見ることのできない数多くの星座や流れ星。やがて現れたキタキツネにおにぎりをふるまい写真のモデルになってもらいましたが、これも後から思えばNGです。私のテントには私とユウコさん、カト氏のテントにはカト氏とスー氏の組合せで就寝しましたが、カト氏のテントは透湿素材ではない上にペグが1本外れていたため、強風で大揺れするたびに結露した内部の湿気が飛沫となって両氏を襲い、2人は外は嵐だと信じきっていたそうです。
1989/08/21
△07:00 白雲岳避難小屋横幕営地 → △07:30 スレート平 → △11:00-10 忠別岳 → △12:00-13:40 忠別岳避難小屋 → △14:25-40 五色岳 → △16:40 ヒサゴ沼避難小屋横幕営地
コマクサの群生などを愛でながらゆっくり歩いていましたが、いつまでたっても忠別岳に着けずにいるうちに旭岳を覆い始めていた灰色の雲が南下し、忠別沼の上で我々を捕らえて強い西風とガスで視界を奪ったものの、皮肉なことに忠別岳を下ると次第に天候が回復してきました。昼食をとるため縦走路を一旦離れ、忠別岳避難小屋へ下る途中で鋭い破裂音が2秒程連続したために慌てて道を急ぎましたが、音の正体については「爆竹説」と「熊がハイマツを踏みしだく音説」とが出て結論に至りませんでした。
昼食を終えて歩行を再開する頃にはすっかり好天となり、日に炙られながら辿り着いた五色岳山頂でユウコさんは「もういい。私は冷たい水を飲む!」と宣言し、エキノコックス入り(?)の水を旨そうに飲みました。さらにしばらく背丈ほどのハイマツとナナカマドの稜線を行き、化雲岳下からヒサゴ沼へ下りました。
1989/08/22
△06:25 ヒサゴ沼避難小屋横幕営地 → △08:35 北沼 → △09:00-25 トムラウシ山 → △12:00-13:20 ヒサゴ沼避難小屋 → △14:15-25 化雲岳 → △18:00 第一花園 → △20:20-30 滝見台 → △21:35 天人峡温泉
朝、小屋に荷物を置きユウコさんのデイパックに水、雨具等を詰めてトムラウシ山へ向かいましたが、その途中の水場で遂に私も我慢しきれず生水に手を出してしまいました。雪渓を登って稜線に上がり、天沼手前の日本庭園風の小池のほとりで千手観音ポーズの記念写真を撮影。花期が終わり結実してヒゲをたなびかせたチングルマが群落を作り、あたり一帯は天上の楽園の情趣があります。山頂までの岩場にはナキウサギが多く、キッキッという声に振り向くと5回に1回の割合でその姿を見つけられました。
この山域には珍しくアルペン的な岩峰のトムラウシ山頂には立派な標柱が立っていましたが、ガスで展望はありませんでした。そこでカト氏が展望回復を祈願すると、その神通力のおかげか時々日が差しましたが、残念ながら晴れ間が広がるまでには至りません。しばらくの後、ナキウサギや白い大きな鳥(フクロウ?)の見送りを受けつつ山頂を後にしました。
ヒサゴ沼避難小屋に戻ってピーマンだらけのスパゲッティの昼食の後、再び重いリュックサックを担いで化雲岳へ登りました。「カウンのへソ」と呼ばれる山頂の大岩は、横から見ると沢登りをするシーラカンスのようでもあります。ここからの長い下りの途中雷雨に見舞われ、沢のようになった道をひたすら下りましたが、第一花園の下から樹林帯に入ったところですっかり暗くなってしまいました。
へッドランプを頼りに夜道を歩いていると後方から金属を打ち合わせる音がついてきますが、振り向いても誰もいないので次第に気味が悪くなってきました。結局これはカト氏のコッヘルの音と後で判明して笑い話になったのですが、やっと涙壁のつづら折れにかかってやれやれと思ったとき、今度は闇の薮の中でガサガサと音がし一同立ち辣みました。しばらくじっとしていたところいつの間にか気配は消え、そこからはひたすら足を速めて下りました。そして、ついに車道に出たところで互いに握手を交わしました。