能取岬の氷瀑

日程:2025/02/18-20

概要:7年ぶりに能取岬の氷瀑でアイスクライミング。初日は氷瀑偵察、2日目はクジラの滝とオオワシの滝、3日目はオコジョの滝。下図の軌跡は初日の氷瀑偵察時のもの。

⏿ PCやタブレットなど、より広角の画面で見ると、GPSログに基づく山行の軌跡がこの位置に表示されます。

山頂:---

同行:ノダ氏

山行寸描

▲初日。オジロの滝の近くを悠然と飛ぶオジロワシ。(2025/02/18撮影)
▲2日目。結氷良好なクジラの滝。(2025/02/19撮影)
▲3日目。風雪の中にしっかり凍ったオコジョの滝。(2025/02/20撮影)

北海道在住・ノダ氏のアテンドを得てのアイスクライミングはここ数年の恒例ですが、これまでは層雲峡だったのに対し今年は能取岬を訪れることにしました。能取岬の氷瀑群は2018年にガイドツアーで登ったことがあり、そのときの印象がよかったので離道するときには次は仲間と共に訪れて片端からリードして回りたいと強気なコメントを記録に残していましたが、それから7年、自分も人間が丸くなったので(違)登れる滝は下から登るし難しそうな滝はトップロープで登ろうとおおらかな気持ちで羽田を発ち、女満別空港に向かいました。

2025/02/18

△13:15 駐車場所 → △13:25-15:10 氷瀑巡り → △15:20 駐車場所

羽田を7時に飛び立ち女満別に9時前に到着して、空港でノダ氏と半年ぶりの合流。ただちに網走市内に移動してコンビニエンスストアに立ち寄り、軽く朝食をとりがてら行動食を買い求めたのですが、さあこれからというところでほぼ同時にノダ氏と私に電話が入りました。仔細は省きますがどちらも家族絡みのアクシデントの一報で、特に私の方はいつでも電話に出られる状態を維持しなければならなくなってしまいました。このためにアイスクライミングは続報あるまでお預けとせざるを得ず、しばらくは観光モードで時間をつぶすしかありません。そのため、まずは網走川の河口近くにあるモヨロ貝塚館を訪れてオホーツク文化についての知見を広め、ついで能取岬に車を飛ばして流氷を見物しました。

今年のオホーツク海の流氷到来は記録的な遅さで、網走地方気象台によれば流氷初日(視界内に流氷が見えた日)は2月15日、流氷接岸初日は2月17日だったそう。前者は1946年の観測開始以来最も遅い記録、後者は観測史上4番目に遅い記録です。こんな具合に時間を使っているうちに連絡が入り、どうやらアイスクライミングをしても大丈夫だという状況になりました。とはいうもののすでに正午を回っているので、この日は明日・明後日のための偵察に時間を使うことにしました。

能取岬と網走市街を結ぶ網走公園線から海岸へは、森の中の雪原を歩き沢筋をまたいで斜面を斜めに下ることになりますが、幸いよく踏まれていてシューズがもぐることはほとんどなく、スムーズに海辺に出ることができました。この道筋にはアイスクライマーも入っているでしょうが、むしろスノーシューを履いての流氷見物のガイドツアーの方が多そうです。

海岸に出たらまず南に向かうことにしました。すぐに目に入るのはオノコですが、これはあまりそそらない形状をしています。

続いてメノコがあるはずですが、岩壁にぼんやりと切れ込んだ凹部が複数あって同定に確信が持てません。たぶんこれかな?という斜面は確かに凍っているものの、傾斜が緩いだけに雪をかぶっていてこれもイマイチ。

最南の滝はオコジョの滝ですが、トポに載っているこの滝は氷の状態が他の滝より比較にならないほど悪いという記述とは裏腹にしっかりと凍っている印象です。ただ、最上部の垂直の10m強は自分たちには歯が立ちそうになく、登るならトップロープでと目星をつけました。

オコジョの滝を確認したら反転し、海岸に降り立ったところから今度は北に向かうと最初に目に入るのがクジラの滝。先ほど雪の林の中を歩いてまたいだ沢筋から落ちているのがこの滝です。我々がここに着いたときにはトップロープが張られていて、2人組が休憩をしていました。よし、明日は朝一番でこの滝の上から懸垂下降だ。

トポに記載のあるトッカリの滝は認識できず、地形的に言うとここかな?という岩壁の切れ込みには氷瀑ができていませんでしたが、その北隣の三本柱の滝は氷柱が下まで届いて厳しいつららのハングを上から垂らしていました。さて、この滝より北に行く手前では海が岩壁に迫る場所を通過するので潮の干満を把握しておかなければなりませんが、あらかじめ調べておいたところではこの日の満潮は朝と夕方、そして13時頃が干潮です。

そんなわけで無事に対面できたオジロの滝は、前回来たときと比べると氷の発達が弱く、ちょっと嫌な感じ。それでも見上げてみると一応ラインは見えたので、明日・明後日の中でチャンスが得られれば登ってみることにします。

こちらはオオワシの滝。正面は85度に立っており、右端のルンゼ状が弱点になりそう。

そして最北のハヤブサの滝は見事な氷柱になっていますが、頭上のかぶった雪が恐ろしげにも見えます。ともあれ、こんな具合に一つ一つ滝を見上げてはジオグラフィカでマーカーを作成して自分版の滝マップを作りました。これは明日以降、目指す滝をトップロープ課題として登ろうとするときに役に立つはずです。

今日の仕事はこれで終わり。さあ、飲みに行こう。

今は流氷シーズン真っ只中(実際に接岸したのは昨日ですが)ということでノダ氏が宿をとってくれたのは網走から車で1時間ほどの北見市です。北見といえば焼肉、焼肉といえば北見というくらい焼肉文化が盛んで、市内には70軒以上の焼肉店があり、人口1万人当たり約7軒という数字は道内の市の中で最多だそうです。それならというわけでホテルからほど近いところにある焼肉店を適当に見繕って訪問し、まずは久々の再会を祝して乾杯しつつ焼肉に舌鼓を打ちました。

2025/02/19

△08:35 駐車場所 → △09:10-12:25 クジラの滝 → △12:50-15:15 オオワシの滝 → △15:50 駐車場所

ホテルの朝食を6時半からとって、北見市から網走市に移動しコンビニエンスストアで行動食を調達してから現地へ向かいました。これなら一番乗りだろうと思っていたのですがそれは甘く、すでに先客1台が駐車していました。

この日はまずクジラの滝の落ち口に向かい、そこから懸垂下降してトップロープでクジラの滝を登るつもりでいましたが、踏み跡を辿って落ち口に着いてみると案の定、先客がここにトップロープを張って登っているところでした。無念……と思いながら見ているとロープが動いているので先客が登ってくるのを待ち、現れたクライマーに「何時頃までここにいますか?」と聞いたところ、なんと「これで終わりです」とのうれしいお返事。しかも懸垂下降支点は残置されたもので、そのまま借用することができることをここで初めて知りました。かくして彼が懸垂下降してロープを引き抜くのを待って我々もロープをセットし、順次クジラの滝の下に降り立ちました。

ノダ氏が用意してくれていたロープは50m2本でしたが、懸垂下降支点から下まででぎりぎり25m(手持ちのトポは滝のスケールを40mと記していますが、これは誤りだということです)。もちろん60mロープの方がベターだったでしょうが、それでもどうにかトップロープで登ることができました。私とノダ氏でそれぞれ2回TRで登るうちに氷の状態や形状がつかめ、これならリードで行けるという確信を得られたので、3本目はリードすることにしました。

TRで登っているときは流氷ウォッチのギャラリーがいると嬉しくなってきますが、リードのときは集中したいので他人の視線が気になるもの。それでも努めて平常心を保ち、自分の身体と氷との対話を重ねながら早めのレストを心掛けつつ登って、無事にトップアウトすることができました。ノダ氏にも上から確保した状態でスクリューを回収しながら登ってもらって、クジラの滝は終了です。

北に移動するとオジロの滝では男女のクライマーがトップロープを張って練習中。ここは明日登ることにしようと決めてしばらく観察してから、さらに北へ向かいます。

オオワシの滝は正面が85度に立っていますが、右端のルンゼ状から取り付けばかなりの高さまで斜度を抑えられそう。そういう見通しのもとにダブルロープを引いて取り付いてみたのですが、氷の状態が悪くて蹴り込んでも確実なスタンスが得られません。中途半端に高さを上げて左の垂壁に乗り移るよりは素直に正面突破を図った方がいいだろうと考え直して慎重にクライムダウンし、中央やや右寄りから登り直しました。ところがこれも、上から4分の1くらいの位置で傾斜がいったん緩むあたりの氷がガサガサな上に雪がかぶさった状態です。このためなかなか決まらないアックスを打ち直しているうちに、不意に足が外れてよもやのフォール!ノダ氏が機敏に止めてくれたおかげで何ら衝撃を感じることなく氷壁の途中にぶら下がることになりましたが、左手のアックスが壁の上方に取り残されてしまいました。

ロワーダウンしてもらってからノダ氏のクォークを借りて再び取り付き、宙空のノミックを下に落としてさらに登り続けたものの、手は握力が弱ってくるわ、足はミシンを踏み始めるわで、仕方なくアックステンションも交えた各駅停車で正面壁をどうにか乗り越えました。しかしその先の雪に覆われた緩傾斜部も下から見ていたほどには傾斜が緩くなく、しかもやはり氷が脆くて安心してスクリューを入れられる場所が限られます。さらに(これはオブザベーション不足ですが)確実な支点を得られる灌木の手前は大量の降雪がかぶさってきている状態で、こちらの方こそ正面突破は大変そう。幸いなことに下から「ロープ半分!」のコールがかかったところに太い木の根が出ていたので、周囲を掘り起こしてこれが上の灌木からしっかりつながっていることを確認してからスリングを巻き、カラビナ共々残置してロワーダウンしました。ずいぶんお待たせしてしまったノダ氏にはこれを支点としてTRで登ってもらい、これでこの日のクライミングは終了です。

ギア一式をリュックサックに詰めて帰路につくと、オジロの滝を登っていた男女2人組も仲良く手を繋いで帰るところ。まだ16時前ですがすでに夕方の気配が漂い、彼方の斜里岳から知床半島にかけての山並みも早く帰宅せよと呼び掛けてきているようです。

クジラの滝の南のスロープを登って駐車場所まで戻る道すがらでは、明日は三本柱の滝をTRで登ってからオジロの滝にもトライしようという話にしていたのですが……。

北見市の宿に戻って、今日も夕食は「肉」。北見での焼肉の定番は牛サガリと豚ホルモンで、前者は昨日食べているので順当なら今日は豚ホルモンに手を出すところですが、私は豚ホルモンがやや苦手。このためジンギスカン(羊)を食べることにしました。この店は女満別町産のホゲット(月齢12〜24ヶ月未満。12ヶ月未満がラム、24ヶ月以上がマトン)が売り物で、お店の雰囲気の良さにもつられてつい食べ過ぎてしまいました。この北海道旅行では間違いなく、体重を増やして帰ることになるな……。

2025/02/20

△08:30 駐車場所 → △08:45-10:05 オコジョの滝 → △10:20 駐車場所

すこぶる過ごしやすくお値段もリーズナブルだったホテルをチェックアウトして、外に出ると雪。網走に向かう車の中で天気予報を確認すると「網走を中心に強い雪」などと言っています。

網走市街から氷瀑群の入口までの道も除雪されておらず、駐車場所には先客の姿もありません。悲壮感を漂わせながら装備を身につけてはみたものの、これは早めに退散した方が無難そうです。そこで予定を変更し、道路から滝の落ち口までの距離が最も短いオコジョの滝(最南端)に向かうことにしました。

車を駐めた場所から南に向かって道路を少し歩き、沢筋に橋が架かるところに行き着くと左岸にうっすらと踏み跡が残っていました。これを辿るとほとんどラッセルすることなくオコジョの滝の落ち口に達することができ、そこにはクジラの滝と同様に懸垂下降支点が設えられていました。

ロープ2本を繋いで支点にセットし、滝の下まで懸垂下降。下りながら観察すると特に落ち口の下の10mほどはほぼ垂直に立っており、これは自分にはリード困難だぞという感じ。しかしトポにあるこの滝はシーズンを通して状態が悪いという記述ほどには悪くないという印象を受けました。

オコジョの滝は一番下(初日に見上げた場所)まで下ると高距が40mになるようですが、中段のテラス状で切ると上からちょうど25mです。そこでここからTRで登り返すことにして、まずノダ氏にビレイしてもらって私から取り付いたのですが、率直に言って朝一番にこの斜度はきつかった。なんとか上までと思うも途中でテンション。風雪が強くなってきたことも相俟って、トップアウトしたときには再登意欲が失せていました。

このためノダ氏は上から確保した状態で登ってもらいましたが、ものすごいスピードで登ってきたのにはびっくり。本人曰く「パンプする前に登り切ろうと思って」とのことでしたが、そう思ったからと言ってその通りに登れるものでは普通ないですよ。とは言うもののノダ氏も雪が気になるらしく、ここで切り上げることに賛成してくれました。

かくしてこの日はオコジョの滝をTRで1本登っただけになってしまったのですが、自然相手の遊びですからこればかりは仕方ありません。駐車場所に戻って装備の全てをリュックサックにしまいこみ、この地での2泊3日のクライミングを終了しました。次にこの地を訪れる機会が得られたら、そのときはまずメノコまたはトッカリの滝でウォームアップをしてから今回登りそこねたオジロの滝と不本意な登り方になったオオワシの滝を下から登り、さらにオコジョ、三本柱、ハヤブサの滝もTRで満足いくまで登り込みたいものです。欲張りなようですが、つまりこの能取岬の氷瀑群には登りたい課題がまだいくらでもあるということです。

能取岬の氷瀑群を離れた時点で時刻はまだ10時半頃。初日に生じたアクシデントのためにノダ氏には早く帰宅してもらいたいところですが、帰りの飛行機が19時10分のフライトなので今から空港に私を残置するのは気の毒だと考えたノダ氏は、昼すぎまでは私につきあってくれることになりました。そこで私のリクエストで網走市立郷土博物館に向かいましたが、ぐんぐん道に積もっていく雪のために博物館に通じる斜道で車がスタックしかけるアクシデントに見舞われてしまいます。それでもどうにか窮地を脱して博物館に辿り着くことができ、ここで網走の歴史を幅広く学んでから、博物館からほど近い場所にある「ラーメンだるまや」で「どろラーメン」を食しました。

ここには2018年にも来ているのですが、そのとき980円だった唐揚げセットは1,250円に値上がっていました。それはいいのですが、相変わらずの唐揚げのボリュームにはまたしても辟易。自分の学習効果のなさを嘆くべきところではあるものの、できれば唐揚げを小さくして値上げ幅を抑えてほしかったところです。

昼食を終えて、女満別空港へ送ってもらう道すがらも風雪は収まる様子はありません。実際にもこの日1便が欠航になってしまいましたが、私が搭乗するエアドゥ機は滑走路の除雪のおかげでわずか35分遅れで飛び立ってくれました。

モヨロ貝塚館

モヨロ貝塚館は網走市立郷土博物館の分館で、網走川の河口近くで大正2年に米村喜男衛によって発見されたモヨロ貝塚、竪穴式住居群、墓域とこれらに隣接して建てられた館内で今から約1300年前にここに暮らしたオホーツク文化圏の人々の姿を示すものです。

あいにくと言うか当たり前と言うか、この時期は屋外の展示は全て雪の下に隠れているので館内の展示を見るしかないのですが、それでも貝塚や住居、墓の様子が再現され、各種土器や骨角器が展示されていて、とても充実したものでした。

そもそもオホーツク文化とはオホーツク海を囲む北海道・サハリン・千島に広がった文化で、人骨の特徴や土器・装身具には大陸(特にアムール川流域)とのつながりが見られる一方、発達した骨角器を駆使する海獣狩猟民族の文化という特徴は環オホーツク海文化の一つとしての性質を持っているのだそう。網走を含む北海道(オホーツク海南岸)には5〜9世紀に渡来・定着したモヨロの人々は、擦文文化の担い手たちとの融合を経てトビニタイ文化を生み、その遺伝子や動物(ヒグマやシャチ)儀礼がアイヌに引き継がれているとされています。これは大変興味深く、一方で繊細な問題をはらむ領域ですが、モヨロ貝塚の発見者である米村喜男衛の孫である米村衛氏が著した『北辺の海の民 モヨロ貝塚』という本を買い求めたので、引き続き学習してみようと思います。

郷土博物館

モヨロ貝塚館はオホーツク文化にフォーカスした博物館でしたが、その本館である郷土博物館は広く網走の自然と共に有史以前から近代までの通史を扱う博物館です。

昭和11年に北見郷土館として開館し、昭和23年に網走市に移管されて今日に至るこの博物館の建物は、フランク・ロイド・ライトに師事した田上義也が設計したもので、これ自体が国の登録有形文化財に登録されています。

1階は「網走の自然」と題して、入って左の部屋には海の生き物たち(ゴマちゃんやラッコがかわいい)、右の部屋には山の生き物たち(ヒグマにはお目にかかりたくない)。

1階の右の部屋の奥の部屋では「昭和時代後半の網走展」という特別企画展が実施されており、高度成長期(昭和40〜44年)→経済不況期(昭和45〜54年)→バブル前夜期(昭和55〜64年)の世相の移り変わりとその中での網走の街並みの変化がわかりやすく示されていました。世相面では各種家庭用品や電子機器、玩具、雑誌、映画のポスターなども並んでいてノダ氏も私も懐かしさを覚えましたが、面白かったのは日本国有鉄道の昭和39年の路線図で、そこにはノダ氏が住んでいる浜頓別にかつて通っていた天北線や興浜北線がはっきり描かれていました。

美しいステンドグラスやらせん階段を見ながら2階に上がると、今度は「網走の歴史」のコーナーです。

2日前にモヨロ貝塚館で学習したオホーツク文化ばかりでなく、1万年以上前の旧石器時代に始まり縄文時代、続縄文、擦文を経てアイヌへとつながる近世以前の歴史が手際よくまとめられ、網走周辺の遺跡分布図も目を引くものでした。ここで特に注目したのは二つの頭骨で、縄文人の頭骨は顔が四角く眉間が盛り上がり、鼻筋のとおった目鼻立ちのくっきりした顔つきであるのに対し、オホーツク人はほほ骨が横に張り出す、口のまわりの骨が大きいなどの特徴があり鼻の骨も低いので全体的に顔が平たく寒い環境に適応する形態を示しています。ではアイヌは?という問いに対してはこの博物館では明示的に解説されてはいませんでしたが、一般的にはオホーツク人の形態はアイヌとは遠いと言われていますが、アイヌの中にも地域差があり、特にオホーツク沿岸地域のアイヌにはオホーツク人と類似する点があって遺伝的影響を想起させるということです。そして最後の部屋には江戸時代から現代へと続く網走の「開拓」の歴史が数々の貴重な史料で説明されていて、この博物館の意義をさらに深いものにしていました。

これまで北海道の博物館というと、前回能取岬の氷瀑群を登ったときに訪れた北海道立北方民族博物館と昨年の夏に訪れた白老町のウポポイがありますが、さらに今回の郷土博物館とモヨロ貝塚館を訪れたことで、これまで断片的に積み重ねてきた知識の体系化の糸口がつかめたような気がしました。初日のアクシデントや3日目の風雪がなければこれらの博物館に訪れることなくアイスクライミング三昧で旅を終えていたはずですから、これは怪我の功名?塞翁が馬?どういう喩えが適切かわかりませんが、いずれも無駄にはならなかったと言えそうです。

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