塾長の山行記録
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塾長の山行記録

一ノ倉沢烏帽子沢奥壁南稜

日程:2002/09/21-22

概要:一ノ倉沢を詰めてテールリッジから南稜テラスに達し、下半部はさかぼう氏・上半部は私がリードで合計8ピッチで終了点へ。登攀終了後は一ノ倉尾根を一ノ倉岳へ抜け、堅炭尾根経由で下山。

山頂:一ノ倉岳 1,974m

同行:現場監督氏 / さかぼう氏

山行寸描

▲一ノ倉沢全景。圧倒的な垂直の壁が見る者を威圧する。(2002/09/22撮影)
▲テールリッジを登る。目の前に三角形の衝立岩がぐんぐん大きくなってくる。(2002/09/22撮影)
▲馬ノ背リッジで後続の現場監督氏とさかぼう氏を迎える。上の画像をクリックすると、烏帽子沢奥壁南稜の登攀の概要が見られます。(2002/09/22撮影)
▲核心部のフェース(IV+)をリードする私。馬ノ背リッジからつながるこの2ピッチは最高の気分。(2002/09/22撮影)

6月に奥秩父のヌク沢の遡行を終えた後、「笛吹の湯」のぬるい露天風呂につかりながら「次」はどうする?と協議した現場監督氏・さかぼう氏と私。このときに現場監督氏から出た「沢は沢でも……」というアイデア、すなわち一ノ倉沢が3人での次のターゲットとなりました。その後、それぞれの山・沢を追いながらも3人の間で日程調整や計画の具体化が進み、9月下旬の連休を利用して一ノ倉沢と幽ノ沢を1本ずつ狙うというプランが固まったのは9月上旬のことでした。

2002/09/21

△17:55 土合駅 → △19:10 一ノ倉沢出合

現場監督氏は家の用事、さかぼう氏は仕事があってそれぞれ深夜に車で到着予定。一足早く東京を出た私はJRの鈍行をとことこと乗り継いで、ひんやり寒いトンネル内の土合駅に到着しました。名物の462段の階段を脱兎のごとく駆け上がる大型リュックの若者たちが次々にダウンしていく中、こちらはゆっくり登り詰めて地上に出ると、既にあたりは暗くなってきています。天気予報では徐々に雲が広がっていき、明日は終日曇り、明後日は雨。せめて明日の一ノ倉沢だけでも天候がもってほしいと念じながら川沿いの新道に入りました。西黒橋を過ぎると人気はまったくなくなり、マチガ沢に沿って1段上を走る旧道を目指す頃には漆黒の闇となって不気味な樹林歩きとなりました。きれいに鋪装された新道に飛び出してほっとし、さらに北へと向かうと、やがて車が何台も駐まっている駐車場に着き、ここからわずかに進んでテントが何張りか張られている一ノ倉沢出合に自分もテントを張りました。

外でランタンの火を灯してコンビーフ入り焼そばの夕食を作りながら一ノ倉沢の奥を見やると、シルエットになって見えている岩壁のかなり上の方、おそらく滝沢の上部にビバーク中のクライマーのヘッドランプの明かりが見えています。さらに右手、一ノ倉尾根のずいぶん上の方を国境稜線に向けて移動中のランプも見えました。下界では焼そばを作ったり「♫愛する山よ〜」とのどかに合唱しているテントもあるのに、数百m上ではクライマー達が安全地帯を目指してヘッドランプの明かりだけを頼りに登攀を続けていることに胸が熱くなりました。

2002/09/22

△06:00 一ノ倉沢出合 → △07:00 テールリッジ下 → △08:00-20 南稜テラス → △11:10-30 終了点 → △12:55-13:20 一ノ倉岳 → △16:15 一ノ倉沢出合

テント前で現場監督氏・さかぼう氏と再会。薄曇りではあるものの国境稜線まで見上げることができて、予定通りテールリッジを目指すことになりました。あらかじめの計画通り6時に出発し、土地勘のあるはずの現場監督氏に先導してもらって一ノ倉沢を詰めていきました。夏前ならテールリッジまで雪渓の上を歩いて行けるらしいのですが、この季節は雪もすっかり消えていて、道は河原から右岸、左岸と踏み跡を辿ります。基本的に右岸を行くんじゃなかったかな?と思いつつ現場監督氏の後ろに続きましたが、現場監督氏は時折首をかしげながらも前方にテールリッジが大きく見えるところで左岸の高巻き道に入って行きます。やがて沢の前方にガイドブックに書かれていた通り右岸の斜面を懸垂下降しているパーティーが見えてきたために我々が左岸に渡ったところで右岸のリッジ状に取り付くのが正解だったらしいことがわかりましたが、ここまできてそんなことを言っても仕方ないのでそのまま草付をトラバースしてから衝立前沢を下って川床に降り立ち、フィックスロープを使って右岸の大岩、さらに左岸のIII級程度の岩壁をよじ登り、高度感のあるスラブをトラバースしてテールリッジの下に到着しました。

ここまで来ると前にも後ろにもかなりの数のクライマーが列をなしており、現場監督氏は先行パーティーに声を掛け、行き先を確認したり抜かさせてもらったりしながら高度を上げました。リッジ〜樹林〜リッジと登って衝立岩中央稜取付に到着すると、目の前には衝立岩の大岩壁がそそりたち、その基部には雲稜ルートの写真で見たハングが想像していた以上の大きさでせり出していました。当初の予定では、中央稜か烏帽子沢奥壁南稜のいずれかを登るつもりにして準備をし、現地で混み具合を見ながらいずれを登るか最終決定をすることになっていたのですが、既に中央稜には大部隊が取り付いている状態だったので、必然的に南稜を選択することになりました。

この中央稜取付から南稜テラスまでは烏帽子沢奥壁の基部をなす横断バンドをトラバースすることになりますが、烏帽子沢奥壁にも凹状岩壁・中央カンテ・変形チムニーなど数多くのルートが拓かれており、したがって落石の危険も極めて高くなっています。他のパーティーのクライマーが後輩に「ここから先はスピードが命だから」と注意を与えるのを聞きながらギアを身に付け、シューズをクライミングシューズに履き替えました。

横断バンドのトラバースを終えて南稜テラスに到着したのが8時ちょうど。既に登り始めているのは3人パーティー、登攀準備をしているのが5人2パーティーでしたが、5人パーティーの方は我々を先行させて下さるとのこと(ありがとうございました)。我々はリードがロープ2本を引いて登り、後続が若干の間隔を空けてほぼ同時に登る「猿回し方式」を採用することにしていましたが、現場監督氏から「塾長さん、リードします?」と水を向けられたので迷わず「後半をリードさせて下さい」と返しました。なぜなら、後半には馬ノ背リッジ(IV-)や核心部の垂壁(IV+)があってそちらの方がおいしそうだったからです。というわけでスタートはさかぼう氏がリードすることになり、各自ロープを結んで先行パーティーが1ピッチ目を抜け終わるのを待っていました。

そのとき、右手の上の方から「ラークッ!!」の緊迫した大声が響き渡り、驚いて振り返ると凹状岩壁上部を登攀中のクライマーの足下から岩ががらがらと落ちてきます。はるか200m下の横断バンドには何人かのクライマーが横断中または取付で待機中ですが、彼らには岩がどこを落ちてきているのか見えていません。すると、私の隣に立っていた先行パーティーのクライマーが横断バンドを大きな身振りで指差しながら「ラーク!ラークッ!」と必死に叫び、それを聞いて横断バンドのクライマー達は落石が自分達を目指して来ていることに気付いてあわてて壁にへばりつきました。落石は途中の岩を巻き込みながら音をたてて横断バンドから烏帽子スラブに降り注ぎ、そのうちの一つが岩壁に精一杯しがみついているクライマーの後方10mに激突して白く砕け散ったのが見えましたが、落石が収まってみるとどうやら怪我人は出さずにすんだようです。谷川岳は落石が多いとは前から聞いていたことですが、いざ目の前にその猛威を見、わずか10分の差で自分達が落石に巻き込まれ深刻な事態に陥っていたのかもしれないことに気づくと、改めてその恐ろしさを実感しました。

落石騒ぎの興奮もようやく覚めた頃にさかぼう氏リードで登攀開始。1ピッチ目は出だしIII級程度のスラブ状フェースを20m右上し、IV級のチムニー10mを登るピッチですが、ダブルロープが岩角にすれているのか登るにつれて見るからに重そうになってきました。このため、フェースを越えてチムニーの入口に着いたところで下からの現場監督氏の指示によりピッチを切り、私、現場監督氏の順番で後続。2ピッチ目となったチムニーは出だしがかぶっていてフリーの素養を問われますが、ホールドはしっかりしており日頃のジムでの練習が活きるところです。

3ピッチ目はホールドがしっかりした階段状のフェースで「こりゃ、どこでも登れるよ。楽勝楽勝」などと言いあっていましたが、いざ後続してみると意外にラインが限られていて見た目ほど簡単ではありませんでした。

4ピッチ目は40mほどの傾斜の緩い草付で、ロープをずるずる引いて次のピッチの取付まで移動。先行パーティーが登っている間にロープを結び直して、ここからは私がリードです。

5ピッチ目はハング下のフェースを左に回り込んで右上のリッジに上がる25mのピッチですが、左から回り込んでみるとすぐ上のところで先行パーティーが早くもピッチを切っており、私もその横に入らせてもらって後続を迎えました。しかし、ふと見ると先行パーティーはトランシーバーで「ビレイ解除……」「解除よし……」とぼそぼそとコールを交換しており、こちらが「ビレイ解除〜!」「どうぞ〜!」「もっと張って〜!」などと蛮声を張り上げながら登っているのが少々恥ずかしくなってしまいます。

6ピッチ目、やはりIII級程度の岩を左からトラバース気味に登ると先行パーティーは馬ノ背リッジの下部でピッチを切っており、ビレイヤーが「すいません、間違えて短く切ってしまって」と恐縮しています。これが間違いかどうかはわかりませんが、この辺りは小刻みに確保支点が作られており、それらに丁寧に挨拶しているといくら時間があっても足りないので長さを測りながらどんどんロープを伸ばしたいところです。そこで了解を得てそのまま先行パーティーのロープに沿って馬ノ背リッジの中間に見えている支点まで上がり、そこで確保態勢を整えました。下を見ると一ノ倉沢本谷のスラブがはるか下方につるつるの表面を見せており、高度感・開放感は抜群。なんだかずいぶん風通しのいいところでビレイしているなぁと自分に対して感想を漏らしていると、後方からは先ほどから聞こえていたバリバリ、ドカーン!という轟音がますます音響効果を高めて響いてきました。これは沢筋に残った残雪が気温の上昇につれて崩壊を繰り返している音で、音だけでも凄い迫力です。

7ピッチ目、馬ノ背リッジをさらに登って奥壁側のクラックに入るIV級ピッチは、最初のうちはホールドになりそうな岩が動かないかどうかを確かめながらのデリケートな登りとなりました。しかしリッジ上端がかっこうのホールドになって続いており、残置ピンも豊富であることに勇気づけられ、すぐにカンテの左側に回り込んで上の平らな岩に抜けることができました。目の前に核心部の垂壁を見上げながら現場監督氏・さかぼう氏の順に引き上げましたが、現場監督氏は「ここ、こんなに急だったかな」とぶつぶつ言いながら登ってきました。

8ピッチ目、いよいよ核心部の垂壁は20mのIV+。オブザベーションをしてラインを頭に入れて……といっても、要所にピトンが打ってあるのであまりライン取りは困りません。徐々に身体を引き上げていって中段あたりに横へ開いた右足へじんわり乗り込むムーブが出てきて、自分としてはこれが会心の動き。借りたランナー用のスリングが短くてなかなか肩から抜けずあせる場面もありましたが、どうやら問題なく抜け口のホールドを目の前にするところまで上がりました。この辺りは角度としては80度くらいで、上のホールドをとれば終了ということはわかっているのですが、そこへ手を届かせるための一歩が上げにくい感じ。中継ホールドを探しているうちに左手のアンダーがよく利くホールドを見つけ、右手の甘いホールドとともに身体を支えて一段乗り上がると最後のホールドに手が届く位置に立つことができました。ガバさえとれれば勇気100倍、さくっと上に抜けてセルフビレイをとり、安堵と満足の吐息を一つ。

終了点で現場監督氏とさかぼう氏を迎え、草付を上がり安定したところで休憩。ここまで3時間弱で、終始先行パーティーをあおりながらの登りになってしまったのはちょっと申し訳なかったのですが、前がいなければかなり時間短縮ができたはずです。ちょうどこの頃から稜線や谷筋にガスが垂れ込め始め、登攀中もってくれた天気に感謝しながら甘いみかんを分け合いました。

ここからは6ルンゼ右俣を懸垂下降で南稜テラスへ戻るのが早そうですが、出掛けに見た落石の記憶がそのことをためらわせます。現場監督氏も、前後にパーティーが続いている状況ではルンゼ内で落石を起こしたり受けたりする危険性があると判断したようで、このまま烏帽子岩から一ノ倉尾根をどんどん詰め上がって一ノ倉沢岳に登ることに決しました。

烏帽子岩を右に見上げて草付・岩溝をひたすら登り、尾根筋に出てからはロープを外して明瞭な踏み跡にしたがっての狭い尾根歩き。途中で出てくる5ルンゼの頭はIII級程度の露岩帯になっており、確保なしでここを越えましたが、岩の脆さに「イヤだイヤだ」とまたも現場監督氏のぼやきが入りました。最後は上越の山らしい密笹の斜面を登って終了点からほぼ1時間半で国境稜線へ抜けることができ、登山道に出たところで3人でがっちり握手。右へわずかに登った一ノ倉岳山頂でギアを外し、シューズも履き替えました。

下山は堅炭尾根を下りましたが、長く滑りやすい尾根道はけっこう辛く感じました。沢筋でゆっくり水を飲み、幽ノ沢出合ではたくさんの遭難碑に厳粛な気持ちになり、道すがらの岩壁に打たれたリングボルトを見てアブミ未体験のさかぼう氏のために人工登攀のさわりの紹介をして(このとき現場監督氏が取り出したグリップ・フィフィ付のアブミにはびっくり。ちょっと触らせてもらいましたが、まさに目から鱗が落ちる思いでした)のんびり歩きを楽しみながら一ノ倉沢出合に戻りました。

とりあえずテントを畳んで現場監督氏の車に入れ、2台で水上温泉の「湯テルメ・谷川」へ。さかぼう氏は仕事の関係で休みがとれたのは今日だけなので、現場監督氏と私とが翌日の天気次第で幽ノ沢のV右くらいを目指す予定でしたが、道中ケータイで天気予報を確認すると翌日の谷川岳は朝方が雨模様です。露天風呂の湯舟につかって身も心もまったりしているうちに、翌日の幽ノ沢登攀の計画は溶けて流れていってしまいました。

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