奥白根山

日程:1991/02/09-10

概要:湯元から外山尾根に登り、前白根山経由で避難小屋に1泊。翌朝奥白根山をピストンし、往路を戻る。

山頂:奥白根山 2,578m

同行:F女史

山行寸描

▲前白根からの奥白根。季節を変えて再び訪れてみたい。(1991/02/09撮影)
▲男体山を振り返る。どこから見てもどっしりと立派。(1991/02/09撮影)
▲山頂から尾瀬方面。遠くにぼんやりと平ヶ岳。(1991/02/10撮影)

1991/02/09

△10:35 ペアリフト終点 → △12:25 遭難碑 → △14:35 外山尾根分岐 → △16:15-25 前白根山 → △17:00 五色沼避難小屋

ペアリフト終点からさらにリフトを乗り継げばもっと楽をすることができましたが、リフト乗場が現金を扱っていないためやむなく頭上を通過するスキー客の下を歩くことに。リフト終点の右に登山口の標識があり、スキー跡を辿ってワカンを使いましたが、軟雪に足を取られ悪戦苦闘するうちに五色沢 登山道ではありませんの標識が出現したため、すごすご引き返すことになりました。白根沢と五色沢の出合まで戻ってようやくトレイルの無い白根沢沿いに登山道を発見しましたが、ここで1時間のタイムロスです。

膝までのラッセルで上級者向けゲレンデの横を登り、樹林帯の急坂をひたすら登ります。15時までに稜線に出られなかったら引き返そうと思っていましたが、かろうじてその前に外山尾根に登り着きました。ここからもなおきつい登りを2回こなしましたが、雲一つない青空のおかげで、背後の中禅寺湖から男体山を始めとする日光家族の山々や戦場ヶ原の景色が慰めとなります。

やがてダケカンバに囲まれた天狗平を経て前白根手前のピークに立つと、眼前に大きな奥白根山が聳え立っていました。既に夕方の日差しの中で奥白根山からは冷たい風が吹き付け、日光連山の左遠くに那須連山、西には至仏山、南に皇海山が眺められ、少し下ったところからは凍結した五色沼越しに燧ヶ岳も見えました。

この日小屋に到着したのは我々が最後で、入ってみると予想外に登山客が多く、皆夕食の支度に余念がありませんでした。

1991/02/10

△06:45 五色沼避難小屋 → △07:50-08:05 奥白根山 → △08:50-09:50 避難小屋 → △10:35-40 前白根山 → △11:30-35 外山尾根分岐 → △13:05 湯本

ゆっくり朝食を済ませ、明るくなるのを待って小屋を出発。すぐに林の中の急坂になりました。樹林帯を過ぎると雲上に抜け、振り返ると男体山をすっぽり隠す白い雲と上空を覆う灰色の雲の間に朝焼けのオレンジの空が横に延びていますが、前方には相変わらず嫌になるような雪の急斜面が続きます。やがて火口原の縁に登り着き、奥白根神社の詞のある台地を越えて最後の斜面に取り付きました。

ここで起きた落石がF女史の手に当たり後続のパーティーを右往左往させるアクシデントがありましたが、幸い大事には至らずどうにか到着した山頂は岩塊の積み重なりでした。西には至仏山と武尊山が白く、その奥に谷川連峰らしい山も見えており、かたや東は一面雲の下で、この山が日本海気候と太平洋気候の境目になっていることがよくわかります。コーヒーを飲み写真を撮っているうちに雲が上がってきたため下山することにして、先ほどの急斜面をヒールキックを利かせて憤重に下りました。

避難小屋に戻り軽い食事をとってから外に出ると雪が深々と降っており、前白根山付近では風雪が強まって道を失いそうになるほどでした。

最後はスキー客を横目に見ながらゲレンデの端を歩き、バス停に着いて山行は終わり。ところが、降雪のためにいろは坂で事故があったため渋滞が発生しており、17時になっても湖に辿り着けないことに業を煮やしてバスを降り、1時間のこの日最もつらい歩きを宿まで歩くことになりました。

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