権現岳東稜(敗退)
日程:2006/01/07-08
概要:土曜日に出合小屋へ入り、翌日権現岳東稜を目指すも、6時間のラッセルの末に時間切れ敗退。その日のうちに下山。
山頂:---
同行:現場監督氏
山行寸描
2006年最初の山行は、現場監督氏と組んで権現岳東稜を狙うことにしました。今冬の積雪はハンパではないと聞いてはいましたが、彼との組合せならそこそこいいところまで勝負になるはずです。行程は、土曜日の朝発ちでその日は出合小屋まで→日曜日に軽量で一気に権現岳東稜を抜けて出合小屋帰着(ただしビバーク装備携行)→月曜日に下山、です。
2006/01/07
△11:35 美しの森 → △13:45 出合小屋 → △14:10-17:00 偵察
小淵沢で現場監督氏と落ち合い、清里から手配のタクシーで美しの森へ移動。駐車場はがら空きで、山に入っている人数が少ないことを思わせました。ここからは以前天狗尾根を登ったときに歩いた林道のてくてく歩きで、空はよく晴れ、やがて前方に権現岳や旭岳が純白の岩壁を見せはじめました。旭岳東稜の五段ノ宮がはっきりと見え、そこだけ黒い権現岳バットレスもよく見えています。
すっかり雪に覆われた沢沿いを右に左に堰堤を越えて、流水がわずかに顔を覗かせている場所を渡るとわずかで出合小屋に着きました。小屋の前にテントひと張り、小屋の中には大宮アルパインクラブの3人パーティー。とりあえず小屋の奥に荷物を置かせてもらってから、さっそく偵察に向かうことにしました。
小屋の前を左に向かう踏み跡はすぐに右の赤岳沢へ向かうものと左の地獄谷方面に向かうものに分かれます。我々は地獄谷を詰め、地獄谷本谷と権現沢の分岐を左へ進むと、踏み跡はそこからすぐの位置で旭岳東稜に上がっていました。我々が踏み跡と別れて権現沢へ進もうとしたとき後ろから人の声がしたので振り返ると、ちょうど旭岳東稜への踏み跡を下ってきた登山者で、少し言葉を交わしましたが、トレースなしの雪の多さにげんなりといった風情でした。
権現沢左俣に入ると地形は切り立った壁が左右から押し迫るゴルジュとなり、そこを抜けて開けた場所の左岸に顕著な雪の斜面が上へ伸びていて、そこが権現岳東稜への取付でした。現場監督氏は「トレース付けてくるから」と言い残してさっさと上へ登っていきましたが、待てど暮らせど降りてきません……。下でぼけっと待っているのもばかみたいなので、こちらも雪壁の上流側の斜面を登っていくと、ようやく上から現場監督氏が雪壁をすたすた降りてくるのと行き会いました。
出合小屋に戻ると、3人パーティーは既に食事も終えて就寝態勢。ありがたいことに小屋のストーブに火が入っており、我々がコッヘルの雪を溶かすためのストーブの上面を快く譲ってくれました。聞けば明日は天狗尾根を登ってツルネ東稜からここへ戻って来る予定なのだとか。ちょうど現場監督氏も私も天狗尾根をソロで登ったことがあるので「フィックスロープのトラバースが怖いですよ」とさかんに脅すと、それはいい話を聞いたとウイスキーをおごってくれました。
2006/01/08
△04:45 出合小屋 → △12:00-15 最高到達点 → △15:25-16:25 出合小屋 → △17:55 美しの森
3時起床。ごそごそと朝食の準備をしているときに大宮チームの追加メンバー1人が徹夜で歩いて小屋に到着しました。やがて天狗尾根パーティーが徹夜1人に仮眠をとらせて先行し、我々も暗闇の中をヘッドランプの明かりを頼りに出発しました。昨日は時折雪がぱらつく天気でしたが、我々がつけたばかりのトレースはばっちり残っていて、昨日は1時間かかったゴルジュ出口の斜面まで30分ほどで着きました。ここで現場監督氏が先行して雪壁を登り始め、私は下でアイゼン装着……のつもりが、どうしてもアイゼンが着けられません。最初のうちはいったい何が起こったのかわからなかったのですが、ふと見ると靴底に1cmほどの厚さの氷が付着していました。この取付に上がってくる途中に水が表に出ている場所が2カ所あったのですが、そこに足を踏み入れたほんの一瞬で氷になったようです。ガリガリと氷を落としてようやくアイゼンを装着し、全速力で現場監督氏の後を追って雪壁を登りました。雪壁はかなり高い位置まで続いており、突き当たりを右上してちょっといやらしい木登りを交えると尾根上に出ます。灌木混じりの尾根筋は比較的細く、III-くらいの木登りを要する急なリッジもありましたが、やがて樹林帯の穏やかな尾根となって雪が深くなってきました。
雪の深さは最初は膝程度ですんでいましたが、傾斜が徐々に強くなるにつれ、目の前の雪壁は背丈を越えるようになりました。こうなると本格的なラッセルが必要となり、バイルを頭上に差し上げて雪をかき込んで膝蹴りをくらわせては足を進めることの繰り返し。しかも雪はふかふかのパウダーで、膝蹴り1回では足が潜るため、かき込み・膝蹴りを2セットでやっと1歩進むといった具合です。現場監督氏と私とで交互に雪の壁に向かうものの時間ばかりがどんどんたっていきましたが、それでも傾斜が急な分、進めば進むだけ高度が上がっていくのが励みにはなりました。
尾根はどんどん急になり、いったんは広い雪壁に吸い込まれたかと見えましたが、やがて今までにも増して急で細いリッジ状になってきました。ほとんど垂直に登っているような感覚の中ラッセルを続け、最後に派手なキノコ雪を崩してリッジ上の平坦地に着いたのが正午。目の前には権現岳バットレスが黒々とした全貌を現していましたが、その基部まではさらに1時間はラッセルを続ける必要がありそうです。
ここで現場監督氏と協議。一応ビバークの可能性を考えてシュラフは持ってきており、現場監督氏は火器を、私はツェルトをリュックサックに入れてありますが、それは稜線に抜けてから時間切れとなった場合に備えたものです。しかるに岩場の基部に13時着では、岩や雪の状態次第では登攀の途中で暗くなってくるかもしれません。無風快晴のこの日のコンディションを逃すのはもったいなかったのですが、ここで時間切れ敗退とすることにしました。
軽く行動食をとって写真撮影をしてから下降開始。雪の下降が苦手な私は急坂に緊張しながら現場監督氏の後を一所懸命追いました。ところどころ山側に身体を向けてバイルやアイゼンの爪を打ち込みながら下るところもありましたが、やがて意外に早く取付のすぐ上まで下り着きました。ここから振り返ると権現岳が「おとといおいで」と言っているように見え、悔しい思いをしました。
木登りの斜面は懸垂下降で下り、雪壁はシリセードで取付に戻ったのは15時でした。出合小屋に帰着するとちょうどテントパーティーも大宮アルパインクラブの面々も帰り支度をしているところで、聞くと旭岳東稜を目指したテントパーティーは五段ノ宮の手前で時間切れ、大宮アルパインクラブもフィックスロープの場所までは届いたものの、いずれもトレースなしの深雪のためにラッセルに苦しめられた末の時間切れ敗退でした。ということは、この連休に出合小屋から八ヶ岳東面を目指したのは3パーティーだけで、それが全滅ということです。結局、この時期はやはり全装備を担いで尾根上に幕営する方法でなければこれらのルートを抜けるのは難しいというのが結論ですが、それ以上にこの山域に足を踏み入れるアルパインクライマーの少なさに驚きました。
現場監督氏の天狗尾根の記録を持ってきていたという大宮パーティーを見送ってから我々もパッキングを済ませ、最後に備付けの箒で板の間の雪を掃き出して戸締まり。沢沿いの道が林道に変わる頃には夕陽の残照も消えましたが、月明かりが雪に反射して意外に明るく、ヘッドランプを点けることもなく美しの森までの道をひたひたと歩きました。
ところで、現場監督氏と2人で「大宮アルパインクラブ?もしかして……」と話し合っていたのですが、帰宅してから確認したらやはりWeb仲間のkuroさんが属しているクラブでした。出合小屋でお会いした方々はとても気持ちの良い人たちでしたし、アルパインの世界がこれだけ狭くなっているのですから、またどこかでお会いしたいものです。そのときはよろしくお願いします(再び枕を並べて敗退、というのだけは避けましょう)。