黒部源流馬蹄形縦走

日程:1992/08/10-16

概要:立山・室堂から入り五色ヶ原、スゴ乗越を経て薬師岳越え。さらに南下して太郎平から黒部五郎岳を踏み、三俣蓮華から裏銀座を辿る。

山頂:薬師岳 2926m / 黒部五郎岳 2840m / 三俣蓮華岳 2841m / 鷲羽岳 2924m / 黒岳 2986m / 野口五郎岳 2924m / 烏帽子岳 2726m / 南沢岳 2625m

同行:ユウコさん

山行寸描

▲カールが特徴的な薬師岳。北アルプスでも屈指の巨峰。(1992/08/12撮影)
▲鷲羽岳への登りの途中から見る黒部五郎岳。大きなカールがトレードマーク。(1992/08/15撮影)
▲ワリモ岳側からの鷲羽岳。有名な鷲羽池はこの反対側にある。(1992/08/15撮影)
▲東沢乗越への下降路からの黒岳(水晶岳)。その名の通り山体が黒い。(1992/08/15撮影)

1992/08/10

△08:15 室堂 → △09:55-10:00 龍王岳 → △11:20-30 獅子岳 → △12:10-25 ザラ峠 → △13:05 五色ヶ原山荘

室堂の上空は、前日に台風が通過した後の快晴。浄土山へと登路をゆっくり登ると、背後の大日岳が徐々に低くなっていきました。

稜線に出るといっぺんに展望が開け、目の前に巨大な立山が立ちはだかり、その左に剱岳の三角錐が黒々とした山体を見せていました。南の方は緩やかに傾いた五色ヶ原の先に薬師岳、黒部五郎岳、笠ヶ岳がそれぞれ特徴的な姿で一直線に並び、その左には槍ヶ岳の尖峰。鬼岳東面の雪渓は意外に長く、急勾配で足が竦みがちになりました。

南を目指すこの道は地図を見る限り大した起伏はないと思っていたのですが、実際には膝にくるアップダウンが連続し意外に絞られます。やっと降り立ったザラ峠の右に立山カルデラを見下ろす鞍部で一服したのですが、この前後で出会ったワンゲル5人パーティーの中にすっかりバテ切った女子が1人混じっており、急坂で足が止まるたびにリーダーから「ミカミ、歩け!」「泣くならテン場についてから泣け!」と容赦ない罵声が飛んでいました。はっきりいってこういう手合いは大嫌いですが、他パーティーのことに口出しするわけにもいきません。救いのないミカミさんに同情したり軽装でお手軽な我々の山行を反省したりしながら暗い気持ちで先を急ぎ、やがてガスのかかり始めた五色ヶ原で雷鳥をカメラに収めてから、この山旅の最初の宿である五色ヶ原山荘に到着しました。清潔なこの山小屋での夕食はトンカツでした。

1992/08/11

△06:15 五色ヶ原山荘 → △06:55-07:00 鳶山 → △08:40 越中沢岳 → △10:35-11:00 スゴ乗越 → △11:40 スゴ乗越小屋

明けて2日目はスゴ乗越までのショートコース。朝から天気がはっきりせず、楽しみの少ない登り下りを操り返しました。

薬師岳越えも検討はしたものの、山頂からの展望が見込めないためにポロくはあっても清潔なスゴ乗越小屋に投宿することに。15時頃から雷雨になったため、結果的にこの選択は正解でした。今夜のディナーは厚いハムステーキです。

1992/08/12

△06:00 スゴ乗越小屋 → △06:55 間山 → △08:25 北薬師岳 → △09:20-30 薬師岳 → △10:00-20 薬師岳山荘 → △11:10-20 薬師峠 → △11:40 太郎平小屋

小さな池のある間山の山頂から、緩やかな登りが北薬師岳まで延々続きます。やがて北薬師岳にかかると眼下に大きなカールが広がりました。カールの底にはたっぷり雪を貯めており、道はその上縁の痩せた岩稜を回り込んでいます。次第に霧の粒が大きくなり風も出始め、ヤッケを着けて雨の薬師岳山頂に到着したものの証拠写真を撮っただけでそそくさと下山にかかりました。

視界の乏しい中到着した薬師岳小屋で力ちからラーメンを注文して体を温めました。その後、再び歩き出して沢筋を下ると霧は上がり、峠のテントサイトが見えてきました。重く身体にまとわりつく雨具を脱ぎ、この日最後の坂を登りました。

1992/08/13

一日中雨。太郎平小屋に停滞を決めてひたすら山の雑誌を読み漁りました。昨日の晩は魚、この日の夜はエビのフライ。一晩ごとに私の食欲は増すばかりです。

1992/08/14

△05:20 太郎平小屋 → △06:50 北ノ俣岳 → △09:30 肩 → △09:40-55 黒部五郎岳 → △10:00-15 肩 → △12:05-40 黒部五郎小舎 → △14:30-55 三俣蓮華岳 → △15:30 三俣山荘

なだらかな稜線にはハクサンイチゲ、チングルマ、シナノキンバイ、ツガザクラ、イワカガミ、シオガマなどさまざまな花が咲いています。次第にガスがかかってきた黒部五郎岳の肩にリュックサックを置いて頂上を往復しましたが、岩がちの山頂もガスの中で展望ゼロで、ここでも証拠写真だけで終わってしまいました。仕方なく肩に戻り、冷たい風の中で弁当を広げました。

カールの縁から底へ下りはじめる頃から霧が晴れ、清流と岩の白と植物の縁の美しい庭園が眼下に現れました。カールの出口に進むにつれ、驚羽岳、黒岳、赤牛岳、さらに薬師岳が次々に姿を現します。特に、地色が赤く曲線の柔らかな驚羽岳と赤牛岳にはさまれて、黒い岩肌が男性的な黒岳は威厳あり。ユニークな三角屋根の黒部五郎小舎の前で一息入れた後、裏手の急坂から再び稜線を目指しました。

三俣蓮華岳は黒部源流の展望台。槍ヶ岳方面は雲に隠れていますが、剱岳以南の主だった山々は全て視界に入ってきます。当初はここから双六岳へ下り、翌日笠ヶ岳の往復も考えていましたが、既に予備日がなくなっていることからそのまま驚羽岳方面へ下ることにしました。

食堂がやけにきれいな三俣山荘の夕食はおいしいチキンのトマト煮。斜め向かいのご婦人が食欲がなくおかずに手を付けていないことに気付いた私はご飯を3杯もおかわりしてさりげなく(?)アピールし、そのご婦人からチキンを譲っていただくことに成功しました。

1992/08/15

△05:45 三俣山荘 → △07:05-30 鷲羽岳 → △08:00-10 ワリモ岳 → △09:15-40 水晶小屋 → △10:10-30 黒岳 → △11:10 水晶小屋 → △11:50-12:00 東沢乗越 → △14:20-25 野口五郎岳 → △14:40-50 野口五郎小屋 → △17:00 烏帽子小屋

鷲羽岳へと続く山道を登るにつれて、背後に槍ヶ岳、穂高岳、乗鞍岳、御嶽山の展望が広がります。これらが雲に隠れる頃、常念山脈越しに八ヶ岳と富士山も見えました。

ガスが流れてくるとブロッケン現象が生じ、初めて見るユウコさんは早く写真を撮れとギャーギャー騒ぎましたが、山頂に着く頃には雲が山頂を包み、眺めはなくなってしまいました。

雲ノ平への分岐から水晶小屋までの気持ちの良い稜線では、驚羽方面へ向かうミカミ連隊に出会いました。しかしミカミさんの姿は見えず、我々は物悲しい気持ちでさまざまに憶測を走らせました。しばしの歩きで水晶小屋に到着し、カレーとラーメンで昼食を済ませてからリュックサックを小屋前にデポして黒岳往復。「水晶岳」の別名の通り山頂近くの砂の中にはキラキラ輝くものが混じっており、山頂からはこれまで辿ってきた立山以南の稜線、これから辿る裏銀座の稜線が全て見渡せました。

水晶小屋に戻ってリュックサックを背負ってからは、きつい夏の暑さの中のひたすらの歩き。真砂岳の下からは白い岩礫の長い斜上が続きます。野口五郎小屋での宿泊も検討しましたが、明日の長い下りを考え頑張って烏帽子小屋へ向かうことにしました。三ツ岳までの稜線はフラットで日差しを遮るものがなく展望も変化がなくて飽きがきましたが、やがて道は三ツ岳の山頂を巻いて少し進んだ地点から下り始めました。

烏帽子小屋への到着が遅い時刻になったために夕食はアウトかと思いましたが、小屋の厚意でかろうじてセーフ。20分遅れのユウコさんと共にてんぷらの夕食をいただきました。

1992/08/16

△05:15 烏帽子小屋 → △05:55-06:15 烏帽子岳 → △07:15-40 南沢岳 → △08:30-40 烏帽子小屋 → △11:30-12:00 濁沢吊橋 → △12:25 高瀬ダム

朝、のんびりしたいユウコさんを小屋に置いて私だけが烏帽子岳往復に出掛けました。さして時間がかからずに到着した鳥帽子岳の岩峰は、数カ所針金やロープの助けを借りて頂上まで道が続きます。しかし、ここからの眺めもさることながらそこから見える南沢岳への道の美しさとその白ザレの山頂に魅かれ、予定になかった南沢岳へ足を伸ばすことを決めました。

池塘とお花畑、白ザレにコマクサ群落と役者が揃った道を登ると、湾曲した南沢岳山頂の一角に出ました。東の方は早朝の逆光の中に浅間山や信州の山々がシルエットになって浮かび、遠く尾瀬の至仏山・燧ヶ岳も見えているようですが、特徴的なスカイラインの苗場山を除くと山座同定に自信が持てませんでした。一方、手近の北アルプス各山の眺めはもちろん素晴らしく、北は白馬三山に剱岳、立山から薬師岳までの全貌が見えていました。赤牛岳と三ツ岳が大きく、針ノ木岳までの起伏に富んだ稜線が崩れかけた山肌をさらしています。遠くの沢音と鳥の声のほか何も聞こえないたった1人の山頂で、縦走最後の至福の時を過ごしました。

烏帽子小屋の前でずっと待っていたユウコさんからの「遅いぞ〜」というクレームにごめんごめんと謝ってから、1週間常に横にあった黒部源流に別れを告げて高瀬川側へ下りはじめました。膝がガクガクくる急坂を下りきると濁沢の吊橋で、なかぱ流石木に埋もれた心もとないこの吊橋を渡り、水場でTシャツや靴下を替えてから、しばし歩いて到着した高瀬ダムからグリーンの湖面を見ながら鳥幅子小屋から電話で呼んだタクシーを待ちました。