地形図に見る寄・玄倉川上流間の道の変遷

▲① 明治21年測圖同29年第1回修正五万図「松田惣領」。寄から来た道はコシバ沢左岸の斜面を登って鍋割峠を越え鍋割山北尾根からオガラ沢出合に下っている(雨山峠を越える道は地形図上には存在していない)。
▲② 明治21年測圖大正11年第2回修正測圖五万図「秦野」。雨山峠を越える道が描かれると共に、雨山峠手前から分岐して茅ノ木棚山稜の北面を迂回し中ツ峠を越えてオガラ沢出合に下る道が描かれている。
▲③ 明治21年測圖昭和4年第3回修正測圖五万図「秦野」。茅ノ木棚山稜の北面を通る道は消え、雨山峠を越える道と共に、二つのコシバ沢を鍋割峠でつなぐ道が描かれている。
▲④ これは『日本山岳案内』第一輯(1940年)に掲載されている「丹澤山山稜概念圖」。②と同じ道筋を描いているようにも見えるが、本書が発行された時点ではその道は失われているはずなので、今回歩いた鉄砲沢へ下る道筋に付け替えられた上で引き続き道が通じていることを示しているのかもしれない。