この2枚の変遷の間に本文中「オガラ沢ブッコシ」の項に掲載した大正11年(1922年)修正測量五万図「秦野」が位置し、これを含む3枚(1888年→1922年→1929年)の全てで鍋割山の西の山稜を越える道が異なっている。ただし、地形図に記載されている道がその時点で使用されている道を網羅しているとは限らない。